キネ探 「 突貫小僧が選ぶ 映画本100冊。」世良利和×突貫小僧 対談 PAGE 02

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世良利和 × 突貫小僧 対談:PAGE-02

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定義付けの難しさ


早志:“沖縄映画”と言われるのと同様に、例えば“大阪映画”とか“岡山映画”とか、地元で作られて地元の人が観客…というようなことで発展してそう呼ばれるようになることって、他府県にもあるんですか?

世良:大阪だとやっぱり(作品が)全国へ出て行っちゃうけど、その地方のために撮られたような作品は絶対あるよ。1920~30年代に流行った“小唄映画”が、要するに“ご当地映画”みたいな感じだと思う。“小唄映画”というのは、上映中、例えばクライマックスのときに歌手がスクリーンの脇で歌い出すような…。

早志:ということは、サイレントなんですか?

世良:そう。レコードを流すこともあったらしいけど…その“小唄映画”がものすごく流行ったらしくて、その前は“連鎖劇”が流行ってて…。僕が知っているだけでも、その地方のために撮られて、どこへも流通しなかったような映画がいくつかあるよ。そういう作品をきちんと調べたら、もっと出てくるはずだけど…。でも、沖縄みたいに大量には出てこないと思う。

早志:沖縄以外でも連鎖劇が流行っていたんですね。

世良:連鎖劇は…例えば、芝居の一座が熊本に行くことがあると、芝居の前の日に熊本の風景を撮っちゃって、その風景映像を連鎖劇用のフィルムにちょこっと挿入して、芝居の中で上映したりということもしてたらしんだよ。

良實:「沖縄劇映画大全」では連鎖劇以後から最近の作品まで入っていますが、合計で何本くらいなんですか?

世良:劇映画中心だけど、ドキュメンタリーも少し入れて多分500本弱くらい。“沖縄映画”の定義って結構難しくて、沖縄出身の人が主役だったら沖縄映画になるのかっていうとそういうワケにもいかないし。それこそ『執念の毒蛇』(’32)も、監督が本土の人だから“沖縄映画”に入れてもいいのかどうかってこともあるよね。

早志:でも、主役の人はウチナーンチュでしたっけ? 顔はウチナージラ(沖縄人的な顔)していますが。

世良:出ているのはだいたい沖縄の人みたいですね。製作者も沖縄人だけど。

早志:資本はハワイに移民して成功した人ですよね。トグチさんって人でしたっけ?

世良:そうですね。

良實:沖縄出身の人が主役を演じたら沖縄映画になるのかってワケにもいかんし…。

世良:難しいよね

早志:僕も“沖縄映画”のデーターベース(HP『オキナワの映画』。現在閉鎖)の作成をしたことがあるので世良さんの苦労が分かるんですけど、“沖縄映画”であるかどうかの線引きが難しくて。

世良:そうそう、それはもう、自分で勝手に線を引いちゃうしかないよね。


人との出会い


良實:先ほど、新聞を調べたとのことでしたが、新聞以外ではどうしたんですか?

世良:1960年代の半ば以降の、主に本土の映画会社が撮った作品は残っているから、当時のスタッフや出演者に取材したり。それ以前の作品も残ってはいるんだろうけど、公開されていなかったり、ビデオ化されてないのも結構あるから、現存する作品はなんとかして見て、あとは情報を探しまくって補うしかなかった。沖縄で撮られた本土の映画は作品名や時期は記録が残ってるんだけど、来沖して取材すると「誰それが持ってるはず」ってことが多くて、なかなか出会えない(苦笑)

良實:俺が持っていないから誰々さんなら持っているはず…みたいな(笑)

早志:実際に関わった人の証言でも、いい加減な記憶だったりするから、僕も結構、振り回されたりしますよ。取材するこっちの方が知っていることもあるし。前もって新聞とか本とかの記録を調べてから、挑みますからね。

SERA_01.png世:調べて来た資料と矛盾すると、「あーそういう勘違いしているんだ、この人は」とか思っちゃうよね。でも、全くの嘘っていうことではないワケで、どこかで情報が繋がっていて。例えば、1本だと思っていた作品が、実は2本あったっていう新事実もあった。「だから、話が合わなかったんだ」と思ったよ。他にも、意外なところで「俺持ってるよ」って、偶然その作品を見ることができたりとか。インタビューした中で一番面白かったのは、やっぱり山城茂さんだね。

早志:山城茂さんに会えた、というのがスゴイですよね。僕らが“沖縄映画”のデーターベース作りの仕事依頼を受けたとき、取材期間が3ヶ月ぐらいしかなかったんですよ。資料を調べていたら、監督とか撮影のクレジットに山城さんの名前がしょっちゅう登場するので、関係者の方々に消息を伺ったら、「生きてるはずよ」って漠然とした答えは返ってくるけど、それ以上は何かはぐらかされるというか、ハッキリ教えてくれないというか。関係者の間で、何かあったのかなーと思いましたね。

良實:良く思ってない人もいるとか。

世良:映画製作に巻き込まれるから、そういう人も当然いると思うんですよ。けど、評価する人もいる。まぁ、それはしょうがないよね。映画作りはね、そういうもんだと思うしね。

早志:僕らが取材で関係者と会えたのは、例えば、『武士松茂良』(’56)でヌンチャクを披露した方でしたね。儀保さんだったかな。あの人にはインタビューできましたね。僕は直接会ってないんですが、うちのメンバーが取材してくれました。

世良:その記事、ちょっと見たいな! ホントにインタビューできたの!?

早志:はい、写真もデータで残してあります。ヌンチャクを構えたポーズで。ヌンチャクを初めて映画に登場させたのはブルース・リーで、ヌンチャクは中国武術の武器、というイメージが世間では強いと思うんですが、'50年代の沖縄映画に登場しているということで、その認識を覆す証拠になるっていうか。その映画の時代設定も19世紀末だから、その頃からあったとも言えるし…。

竜次:もしかしたら、ヌンチャクが映画に登場した最初じゃないかって説も。

早志:ブルース・リーとは、ヌンチャクの構え方が全然違いますけどね。「ブルース・リーのあの型はどう思いますか?」という質問に「映画的な見栄えはいいよねー」って、認めていたようですよ(笑)

世良:それって貴重だよね。


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