キネ探 「 突貫小僧が選ぶ 映画本100冊。」世良利和×突貫小僧 対談 PAGE 01

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沖縄映画との出会い


良實:世良さんはもともとドイツ映画や邦画のアクション娯楽作品のファンだったとか。

世良:大学時代は映研だし、大学で研究者もやってたからドイツ映画は嫌っていうぐらい見たよ。ヴェンダースフォルカー・シュレンドルフの新しい波の頃からかな。

良實:研究も兼ねていろんな作品を見ているうちに、“沖縄映画”に出会ったと…。

世良:“沖縄映画”は『ひめゆりの塔』とかいろいろ見てたけど、高嶺剛監督の『ウンタマギルー』(’89)『パラダイスビュー』(’85)で初めて意識したかな。特に高嶺監督はショックで…。何でこんな映画がいきなりポンって出てくるのか、どこから来たのかすごく気になったね。調べてみると何も分からない(笑)。高嶺監督以前だと、『OKINAWAN BOYS オキナワの少年』(’83)はすぐに調べられたけど。

竜次:『〜オキナワの少年』は新城卓監督ですね。SERA_03.png

世良:そう。新城監督以外は名前も出てこないし、あとは『ひめゆり~』などの戦争映画。いわゆる本土の映画会社が撮った映画くらいしか分からなくて。でも探っていくと、戦後に何か撮られていたらしいって話がちらほら出てきて。一番の手掛かりは山里先生が書いた『アンヤタサ!』。あれでパッと先が見えた。作品情報がある程度ちゃんと調べられていたから、それを手掛かりにちょっとずつね。沖縄独自の映画史があるなんて思ってもみなかったから、だんだんハマっちゃって(笑)

早志:「アンヤタサ!」以外に、何をお調べになったんですか?

世良:新聞は当然全部。正しい記録ということになるからね。他に映画の記事なんて残ってないでしょ。戦前の作品については、「沖縄毎日新聞」とかいろいろあるけど、基本的には「琉球新報」。

早志:僕も沖縄の昔の映画館を調べているんですけど、面白い記事を見つけたりするとそっちの方が気になって(笑)

世良:当然、当然! 新聞をずっと読んでいくと歴史とか風俗とか、時代の流れが分かるんだよね。

早志:そういう雑学的な知識が記録や証言のすり合わせのヒントになりますよね。その時期はこういう風潮だからそんな内容のは撮れないとか…。

世良:戦前のは資料がないから特にそうだけど、“沖縄映画”と絡みがある沖縄芝居の世界がまた難しいんだ(苦笑)。人間関係が複雑でね。

早志:そういったことを岡山在住の世良さんが調べているというのが、ものすごく遠回りしているような気がして。本当はウチナーンチュがやった方がもっと楽にできるはずなのに…。

世良:もっと早くできてただろうね。

早志:なんでそういうウチナーンチュがもっと出てこないんだろう…。僕は作り手に専念したいんですが、成り行きで昔の映画や映画館を調べたりしているんですよね。

世良:でも逆にウチナーンチュだと書けなかったりするから。

早志:そうですね、この本の面白いところは、作品に対して結構辛口なところ!(笑)

良實:沖縄の人と一緒に組んでやるってことは考えなかったんですか?

世良:あのサイト(HP『オキナワの映画』。現在閉鎖)を當間(早志)君らがやってたというのを出版社の人が教えてくれてたら、当然、連絡してるよ。そしたら全然違ったものになったと思うよ。

良實:もう、一人でやらざるを得なくなったみたいな感じで、出版までこじつけたということですね。

世良:今さら途中で止めるワケにもいかない(笑)


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