キネマ探偵団 on WEB

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シネマラボ 突貫小僧

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シネマラボ 突貫小僧とは

 沖縄県内の5つの映画サークル連合が企画した上映イベント「シネマエイド」を行ったメンバーが1988年3月「突貫小僧」を結成。以降、上映会、映画評論、紹介、映画製作など、活動は多岐にわたる。
 サークル名の由来は、小津安二郎監督ファンだったメンバーの間で、アイドル的役者だった名子役・突貫小僧(青木富夫)から命名。
 同年4月、琉球新報の副読紙「週刊レキオ」で、企画・編集・執筆を担当した映画コーナー「キネマ探偵団」の連載開始。
 また同年8月からは、突貫メンバーが作品選定し、沖縄県内ではなかなか劇場で見ることが出来なかった作品の上映会「キネ探シアター」も開催。これは1991年9月まで毎週開催し、'94年から不定期で再開。2001年以降は「突貫シアター」と名称を変更し、通常の映画上映とはひと味違った企画で、県内映画ファンの信頼と人気を得る。

突貫小僧活動略歴  クリックすると開きます

1988年 3月 上映イベント「シネマエイド」を行った中心メンバーが「映画サークル突貫小僧」を結成。
    4月 「週刊レキオ」内の映画欄「キネマ探偵団」連載開始。
    5月 主要突貫メンバーが、琉大映画研究会の部員らと共に8ミリ映画『はれ日和 〜ぼくらのクソ記念日〜』を製作。
    8月 桜坂シネコン琉映(現・桜坂劇場)名画座ロキシーにて、突貫メンバーが選んだ作品を上映する「キネ探シアター」開始。
       毎週金曜日の夜9時からレイトショー形式で、第一回目の作品は、黒澤明監督の『羅生門』。

    12月 『はれ日和』名画座ロキシーにて一般興行。

1989年 この年より県内情報誌「月刊おきなわJOHO」の映画欄(一部)の執筆を担当。

1991年  突貫主要メンバーが、映画『パイナップル・ツアーズ』を製作。

1992年 4月 桜坂シネコン琉映スカラ座、渋谷ユーロスペースにて『パイナップル・ツアーズ』封切。
    9月 名画座ロキシーでの「キネ探シアター」が一旦終了。

1992年 11月 フェスティバルビル(現OPA)6階に常設劇場「OCSフェスティバルシアター」オープン。
       オープンから数ヶ月間、主要突貫メンバーが運営に関わる。

1994年 3月 リウボウホールにて「キネ探シアター」再開。(以後不定期で開催)再開一本目の作品は『人情紙風船』。

1999年 6月 那覇市民会館中ホールにて「アメリカン・ショート・ショート映画祭」開催。
        短編映画31本、実写版ガンダム「Gセイバー」などを上映。映画祭事務局を突貫小僧内に設置。

2000年 3月 ホームページ「OKINAWA On-line」の特集「オキナワの映画」を監修・執筆。

2001年 7月 「キネ探シアター」を「突貫シアター」と名称変更。

2003年 12月 小津安二郎監督生誕100周年、突貫小僧結成15年を記念して、
         桜坂シネコン琉映にて小津監督の無声映画『生れてはみたけれど』を、落語家・おきらく亭はち好さんによる弁士付きで上映。

2007年 1月 19年続いた連載「キネマ探偵団」終了。
    5月 沖縄本土復帰35年企画として、突貫シアターvol.6『探偵事務所5 マクガフィン』を、県内最古の映画館、首里劇場にて上映。
        上映だけではなく、監督・出演者のトークショー、作品の音楽を担当したパイティティによるライブ、
        主演の藤木勇人さんによる創作落語も行った。
    12月 突貫小僧オフィシャルサイト開設。

2008年 4月 結成20周年を迎え、「シネマラボ 突貫小僧」に名称変更。

2010年 9月 ジュンク堂書店那覇店にて1ヶ月間にわたり突貫メンバーがセレクトした映画関連書籍を集めた「シネマラボ突貫小僧が選ぶ映画本
        100冊。」を開催。また毎週ゲストを迎え、店内でトークショー(計5回、USTREAM配信)を行う。

2011年 2月 突貫シアター番外編として、音楽と映像のコラボ企画「やちむん live at 首里劇場」を開催
    7月 インターネット映像配信コンテンツ「水曜キネマ探偵団」「金曜キネマ探偵団」を開始

2012年 5月 特定非営利活動法人(NPO法人)として認証。

突貫小僧メンバー紹介  

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サポートメンバー

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