※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館
☆前身『八重山琉映館』
☆改称『八重山沖映館』←『八重山琉映館』:1960年秋以前
☆改称『八重山第一琉映館』←『八重山沖映館』:1968年10月1日
◎場所:石垣市
◎経営主:石垣長泰
『アンヤタサ!』('01年・ニライ社)の著者・山里将人氏が入手した '60年秋頃の物と思われる映画広告(『はったり!二挺拳銃』)の切り抜きがあり、そこには <琉えい館は〜本日より館名を八重山「沖映本館」と改めます> と書かれている。つまり、'60年に『●●琉映館』から「八重山沖映」に改称した映画館があったことが分かる。●●の部分も「八重山」であろう。
同じ石垣島にあった『千歳館』が『八重山沖映館』を名乗っていた時期があるが、この映画館とは別である。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
☆前身『八重山沖映万世館』
☆改称『八重山琉映万世館』←『八重山沖映万世館』:1961年12月以前
☆改称『万世館』←『八重山琉映万世館』:1963年頃
◎場所:石垣市(当時の住所・石垣市石垣36)
◎収容人数:700人
◎経営主:山城興常
'61年12月10日付で琉球政府に提出された『八重山琉映万世館』の「興行場営業許可証」が存在。沖映系列から琉映貿系列に変更して改称したものと思われる。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
☆開館:1963年以前
★閉館:不明
◎場所:伊江村川平MAP
◎経営主:内間慶長
伊江島にあった映画館。「琉球人名年鑑 1964年版」(琉球名刺交換会)に掲載されている。
戦後すぐにできたという情報があるが、その点について確信できる資料が見あたらない。
現在、映画館があった場所には「ロッジ・江ノ島」がある。
☆前身『八重山琉映万世館』
☆改称『万世館』←『八重山琉映万世館』:1963年頃
☆移転による休館:1990年1月22日
☆新築開館:1990年12月24日
★閉館:1999年9月30日
◎場所:石垣市石垣移転後のMAP
◎経営主:山城興常〜山城英子
「琉球人名年鑑 1964年版」に『万世館』として掲載されていることから、劇場名から「八重山琉映」の冠がとれたと思われる。
'99年9月に閉館してあと、しばらくして『シネマパニック万世館』になっている。
☆前身『八重山オリオン座』
☆改称『千歳館』←『八重山オリオン座』:1968年8月以前
☆改称『八重山琉映館』←『千歳館』:1970年9月以前
◎場所:石垣市(当時の住所・石垣市石垣33-1)
◎経営主:山城興常
'68年8月30日付で申請された『千歳館』の「興行場営業許可証」が存在。これにより、『八重山オリオン座』が『千歳館』へ名称を戻したことが考えられる。
その後、『八重山琉映館』へ名称を変えているようだ。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
☆前身『八重山沖映館』
☆改称『八重山第一琉映館』←『八重山沖映館』:1968年10月1日
★閉館:1970年以前
◎場所:石垣市
◎経営主:石垣長泰
『八重山沖映館』が琉映貿系作品の八重山第一封切館となり、『八重山第一琉映館』へ改称。
経営主の石垣長泰氏は同時期、『八重山国際館』も経営していた。
「沖縄商工名鑑 1970年版」(沖縄興信所)の八重山の項目には『八重山国際館』は載っているが、この劇場名が載ってないことから、それ以前に閉館したと思われる。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
☆開館:1968年以前
★閉館:不明
◎場所:宮古島市平良西里(当時の住所・平良市西里56)MAP
「沖縄商工名鑑 1970年版」の「宮古群島・映画館」にこの劇場の名が掲載されている。
HP「美ぎ島net」に掲載されている<「なりやまあやぐ」は友利の財産>の年表の1968年にとみや会館に関する記述が掲載されていることから、'68年以前に開館したことが分かる。
現在の「とみや商会」の倉庫の建物にあったらしい。
映画館と言うよりもライブや演劇もやる「複合文化施設」的要素が強かったようだ。
☆開館:1970年9月以前
★閉館:不明
◎場所:宮古島市平良西里(当時の住所・平良市西里220)
「沖縄商工名鑑 1970年版」('70年9月・沖縄興信所)に掲載されているが、開館、閉館共に時期が不明である。
宮古島にあった同じ琉映系の映画館で『宮古琉映館』があったが、それとは別である。
☆開館:1970年9月以前
★閉館:不明
◎場所:宮古島市城辺福里(当時の住所・城辺町福里634)
城辺町にあった劇場。「沖縄商工名鑑 1970年版」('70年9月・沖縄興信所)に掲載されているが、開館、閉館共に時期が不明である。
☆前身『千歳館』
☆改称『八重山琉映館』←『千歳館』:1970年9月以前
☆改称『千歳館』←『八重山琉映館』:1971年以前
◎場所:石垣市石垣
◎経営主:山城興常
「沖縄商工名鑑 1970年版」('70年9月・沖縄興信所)の琉映チェーン館の広告に掲載。同書には同じ山城興常氏が経営する『万世館』も別に載っている。『千歳館』の名前は掲載されてないので、『八重山琉映館』に改称したと推測できる。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
☆開館:1970年9月以前
★閉館:不明
◎場所:石垣市登野城(当時の住所・石垣市登野城32)
登野城にあった劇場。「沖縄商工名鑑 1970年版」('70年9月・沖縄興信所)に掲載されているが、開館、閉館共に時期が不明である。
☆前身『八重山琉映館』
☆改称『千歳館』←『八重山琉映館』:1971年以前
★閉館:1972年5月以前(復帰前)
◎場所:石垣市石垣
◎経営主:山城興常
『八重山琉映館』が再び『千歳館』に名前を戻す。
「八重山毎日新聞」の '88年8月8日号に掲載された<「千歳館」ついに撤去>の記事によると、本土復帰少し前からこの劇場は閉鎖していたようだ。
※参照:コラム3:千歳館と万世館の謎
時期不明の映画館
☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:宮古島市
「平良市史 第一巻 通史編Ⅱ 戦後編」('81年・平良市役所)によると、『中央劇場』が<現在、琉球銀行駐車場>にあったとされるが、詳細情報が不明である。現在の「琉球銀行・宮古支店」の駐車場であれば、『宮古国映館』があった辺りになるが、そうなると『宮古国映館』の前身とも考えられる。
☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:宮古島市平良池間
池間島に映画館が2つ〜3つあった、という情報があるが、不明な点が多い。
☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:石垣市大浜?
◎経営主:石垣長泰
「沖縄商工名鑑 1956年版」(沖縄興信所)に掲載されている『八重山琉映国際館』の解説内にある石垣長泰氏のプロフィールに<後半生を映画事業に専念すべく(中略)大浜館、宮良劇場の経営も其の一つの現われである>と記されている。
『大浜館』がどういった劇場なのかは分からないが、石垣市大浜にあった劇場だと思われる。
☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:石垣市宮良?
◎経営主:石垣長泰
「沖縄商工名鑑 1956年版」(沖縄興信所)に掲載されている『八重山琉映国際館』の解説内にある石垣長泰氏のプロフィールに<後半生を映画事業に専念すべく(中略)大浜館、宮良劇場の経営も其の一つの現われである>と記されている。
また、「宮良琉映」という名の映画館があったという情報もある。
いずれにせよ、不明な点が多い。