『沖縄映画興行伝説』 沖縄南部にあった映画館 PAGE:1('46〜'49)

沖縄南部にあった映画館   PAGE:1(1945年〜1949年)

  ※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
  ※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館

浦添市:浦添劇場

☆開館:1949年1月29日(土)
★閉館:1952年7月〜8月頃(『浦添沖映館』開館に伴う閉館)
◎場所:浦添市屋富祖(当時・浦添村)LinkIconMAP
◎経営者:宮城三吉、松村政則


'49年の旧正月にあたる1月29日に開館した露天の劇場。新聞広告の場所説明では「浦添村屋富祖クラブ敷地」となっている。当時の浦添にあった映画館のことを知る人の証言によると、現在の「屋富祖公民館」の場所にあったそうだ。

「琉球新報」の'52年7月25日号に掲載された沖映チェーンの広告に『浦添沖映館』が登場するが、<旧・浦添劇場>と表記されている。また、同紙の'52年8月4日号には『浦添沖映館』が最新式の映写機を設置した内容の広告が掲載されており、そこにも<旧・浦添劇場>と表記されている。
ところが、上記の証言者の話によると、『浦添劇場』と『浦添沖映館』のあった場所は違っているそうだ。
以上のことから、『浦添劇場』の経営主が『浦添沖映館』を建築した際に『浦添劇場』を閉館したと推測できる。

糸満市:糸満劇場

☆開館:1949年3月
★閉館:不明
◎場所:糸満市(当時・糸満町)LinkIconMAP
◎経営者:上原良一→上原吉亀


当時の「糸満町農業組合」の東隣に開館した露天の劇場。'49年3月28日の「うるま新報」に“開館した”との広告記事が登場している。
弁士・山田義認氏が立ち上げた山田映画(巡回映画)の映画をよく上映していたらしい。

豊見城市:眞玉橋劇場(真玉橋劇場)

☆開館:1949年5月以前
★閉館:不明
◎場所:豊見城市真玉橋
◎経営者:金城吉雄


「うるま新報」'49年5月2日号に広告が掲載されているが、不明な点が多い。

与那原町:與那原国際劇場(与那原国際劇場) ←與那原劇場

☆前身『與那原劇場』
☆開館『與那原国際劇場』←『與那原劇場』:1949年8月10日(水)
★閉館:不明(1953年1月存在確認)
◎場所:与那原町
◎経営主:高良一
◎支配人:宮平享正


元々あった『與那原劇場』を『アーニーパイル国際劇場』のオーナーの高良一氏が買収し、新装してオープンしている。
前身にあたる『與那原劇場』の開館時期は不明である。

八重瀬町:港川劇場(湊川劇場)

☆開館:1949年12月以前
★閉館:不明
◎場所:八重瀬町港川(当時・具志頭村)


この劇場で '49年12月22日〜24日に「新興劇団」が旗揚げ公演を行っている(新聞には「湊川劇場」と表記されている)。
'56年3月に存在が確認できている。

糸満市:うるま劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明
◎場所:糸満市(当時・糸満町)LinkIconMAP
◎経営主:松茂良高太郎?


現「ゴスペル幼稚園」の辺りにあった露天の劇場。'49年末にはすでに存在していたことが分かっている。

'50年4月1日に、米軍政府の正式な許可によって戦後初めて沖縄に輸入された洋画『アメリカ交響楽』( '45年ワーナー作品 東京公開:'47年3月)が那覇・北部・南部の3つの地区で同時公開されたが、那覇地区は、北部地区は、そして南部地区はこの劇場であった。
『糸満劇場』(↑上の項目)と同様に、山田映画社の映画を上映していたようだ。
その後、常設館として開館することはなく、露天のまま閉じたと思われる。

八重瀬町:東風平劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明
◎場所:八重瀬町東風平(当時・東風平町)
◎経営主:金城政一


映画の上映を行っていたかどうかは不明。

八重瀬町:外間劇場

☆開館:1949年以前
★閉館:不明
◎場所:八重瀬町外間(当時・東風平町)


映画の上映を行っていたかどうかは不明。