キネマ探偵団 Special Archives
更新日 2014-07-02 | 作成日 2008-02-01
沖縄映画興行伝説
戦後から沖縄本土復帰まで
第二次大戦で地上戦が行われた沖縄の戦後は、ゼロからの街作りであったという。戦争で打ちひしがれた人々の心を癒し、活力を与えてくれる演劇や映画を興行する劇場の周りには人々が集い、次第に繁華街ができあがっていったそうだ。
演劇はすぐに衰退していったようだが、映画興行はドル箱事業の状態がしばらく続き、映画館の運営者はのちに名実業家や政治家になった者も多い。
そんな沖縄の戦後復興の象徴ともいうべき昔の映画館を調べてみると、まるで街作りゲームの「Sim City」のように街の成り立ちが見えてくる。
それはノスタルジックな思いに浸るだけではない。
開館時期や場所を知ることで、当時の物流ルートとの関連性が想像できるし、各映画配給会社や映画館の生き残り戦略も興味深い。個性的なデザインの建物が多いので、アートの側面からも楽しめる。
この時代の映画興行に思いを馳せると、当時の背景の知識も必要とするので、客観的に歴史を考える力も向上する。そしてそこには、未来に向けてのヒントもいっぱい詰まっていると思うのだ。
沖縄の世間は、これら戦後復興の時代に生まれた娯楽施設を軽視する傾向にあるが、「首里城」や「護佐丸と阿麻和利」といったものだけが、歴史じゃない。
観光立県を目指すなら、どこにでもありそうな紋切り型の建物や名所ばかりを作らずに、この刺激的な時代に生まれた夢のある古い映画館を有効利用することにも目を向けるべきではないかと思う。
それを実現させるためにも、鉄道を愛する “鉄ちゃん” のように沖縄の映画館を愛する “映ちゃん” たちがたくさん生まれてくるのを望む。
ちなみに、沖縄の昔の映画館は想像以上に数が多く、配給ルート変更や場所移動・改装などで名称も激しく変遷していたり、さらに呼び名がまちまちで正式名称が不明であったり、表記間違いの資料も多いので、事実を特定するのは困難だ。
そこで、書き換え可能なHPの特性を利用して、新たな情報を入手次第、更新していこうと思うので、みなさんからの情報提供もお願いしたい。
「シネマラボ 突貫小僧」元代表
當間早志
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名誉監修:山里将人
監修・取材・構成:當間早志 シネマラボ 突貫小僧
取材協力:下地寧 比嘉良実 世良利和 嘉味田朝薫 賀数博
タメギヤー(又吉為義親族一同)
沖縄市戦後歴史資料展示室ヒストリート
写真提供:山里将人 嘉味田朝薫 仲村高志
沖縄市役所総務課市史編集担当
参考資料:
『アンヤタサ!』(山里将人著・ニライ社)
『うるま新報』『琉球新報』『沖縄タイムス』『沖縄新聞』
『宮古新報』『宮古民友新聞』『宮古毎日新聞』
『八重山毎日新聞』『八重山日報』
『写真集 沖縄戦後史』('86年・那覇出版社)
『最近の琉球 沖縄写真案内』('57年・沖縄興信所)
『沖縄商工名鑑 1953〜1955年版』(沖縄興信所)
『沖縄商工写真名鑑 1970年版』(沖縄商工興信所)
『琉球人名年鑑 1964年版』(琉球名刺交換会)
『名護市の今昔』('70年・沖縄文教出版)
『名護 ひとびとの100年』('90年・名護市役所)
『小禄村誌』('92年・小禄村誌発刊委員会)
『宜野湾市史別冊 写真集「ぎのわん」』
(宜野湾市教育委員会)
『北谷町史 第一巻附録』('05年・北谷町教育委員会)
『辺土名誌』('07年・国頭村字辺土名公民館)
『平良市史 第一巻 通史編Ⅱ 戦後編』
('81年・平良市役所)
『全記録 分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動』
('03年・間弘志著・南方新社)
沖縄県各地区のゼンリン地図
HP:那覇まちのたね通信/古写真アーカイブ
HP:沖縄県公文書館・写真に見る沖縄
HP:うるくニッポン放送
HP:続渡慶次の歩み
HP:八重山 近・現代史 略年表
HP:美ぎ島net