『沖縄映画興行伝説』 沖縄離島・先島にあった映画館 PAGE:4('54〜'59)

沖縄離島・先島にあった映画館   PAGE:4(1954年〜1959年)

  ※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
  ※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館

1954年〜1955年

奄美大島:東映新栄館

☆開館:1954年初頭
★閉館:不明
◎場所:奄美市(当時・名瀬市)


書籍「全記録 分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動」('03年・間弘志著・南方新社)によると、'53年11月3日に「新映画館」の地鎮祭が行われたとされているので、'54年初頭には開館したと思われる。
同書には、その映画館が後の『東映新栄館』だとしているが、開館した頃からその劇場名だったのかは不明である。

ちなみに奄美諸島は戦後しばらく米軍統治下にあったが、1953年12月25日に日本復帰しているので、この映画館が開館した頃にはすでに日本になっていた可能性が高い。

宮古島:オグデン会館

☆開館:1954年6月15日
★閉館:1972年以前
◎場所:宮古島市


琉球列島米国民政府の副長官オグデンの名にちなんで建てられた劇場施設。落成式にはオグデン副長官も招かれたらしい。
「沖縄県公文書館」が、開館した当時の写真を所蔵している(LinkIconオグデン会館の写真)。

「写真集 沖縄戦後史」('86年・那覇出版社)に掲載された『オグデン会館』の写真には、『コレヒドール戦記』(54年10月東京公開・米国)と『銀蛇の岩屋』('56年・新東宝)の看板が掲げられている。

「宮古毎日新聞」のHPに掲載された宮古ペンクラブ会員の石垣義夫氏によるコラム<平良庁舎の変遷 戦禍や台風被害の受難も>によると、'59年9月に来襲した「サラ台風」によって平良市の庁舎が倒壊した際、『オグデン会館』が平良市の臨時庁舎として使われた時期があったようだ。

宮古島:劇場名不明(宮古国映館)

☆開館:1954年?
☆改築・改称?『宮古国映館』←『●●●』:1956年10月
◎場所:宮古島市西里(当時・平良市西里)LinkIconMAP
◎経営主:平良重信


「琉球新報」の'02年2月22日号の <宮古から銀幕消える 「宮古国映館」閉館> の記事によると、1954年開館したとある。ところが、「●●国映」という名の劇場が県内各地で登場するのは'56年頃であり、国映チェーンのトップである国場組映画部が『國映館』を開館させたのも'55年8月。どう考えても、'54年に『宮古国映館』という名の映画館が宮古島に誕生したはずがない。
また、この『沖縄映画興行伝説』に協力して下さった元新聞記者の下地寧氏の調査でも、『宮古国映館』が開館したのは '56年10月となっている。
以上のことから推測すると、『宮古国映館』の前身に当たる映画館が'54年に開館し、'56年10月に『宮古国映館』として新装開館したと考えられる。

石垣島:丸映館

☆開館:1955年2月27日
★閉館:1986年11月30日
◎場所:石垣市大川LinkIconMAP
◎経営主:石垣喜興


“八重山唯一の総合百貨店”と銘打っていた「丸喜屋百貨店」の2階と3階にあった映画館。
経営主の石垣喜興氏はのちに石垣市長になっているが、その際に行われた市長選では大騒動(「石垣市長選挙騒動」)が起こっている。

石垣島で初めてジュースの自動販売機が設置された場所らしい('63年8月1日)。

'83年1月15日〜1月31日に、新成人向けに無料で成人映画などを上映する「新成人無料上映」を実施した面白い記録も残っている。

1956年〜1957年

宮古島:宮古国映館 ←劇場名不明

MiyakoKokuei(00_04)net.jpg宮古国映館:2000年4月 写真/シネマラボ突貫小僧所蔵☆前身 劇場名不明↑
☆改称・新築『宮古国映館』←劇場名不明:1956年10月
☆移転:1986年
★閉館:2002年2月22日
◎場所:宮古島市西里(当時・平良市西里)LinkIconMAP
    →<移転>同区域内LinkIconMAP
◎経営主:平良重信


'54年に開館したとされる劇場名不明の映画館が『宮古国映館』として新装開館(上記の「劇場名不明(宮古国映館)」↑の項目を参照)。

この映画館は当初、現「琉信ビル」辺りにあったが、'86年に一区画離れた場所に移転。
'02年2月に閉館し、建物が改装されて '05年8月6日に『シネマパニック宮古島』が開館した。

久米島:久米島琉映館

☆開館:1956年
★閉館:1960年代後半?
◎場所:久米島町仲泊(当時・具志川村仲泊)LinkIconMAP
◎経営主:祖根宗春


'56年に開館した久米島の映画館。
閉館時期は不明だが、「琉球人名年鑑 1964年版」(琉球名刺交換会)に掲載されていることから、その頃までは存在していたようだ。

南大東島:大東映画館

☆開館:1956年
☆改装(有蓋?):1958年5月1日
★閉館:不明
◎場所:南大東島村在所LinkIconMAP
◎経営者:村本孝行、村本秀孝〜浅沼俊行


南大東島にあった映画館。

久米島:光洋館

☆開館:1956年末以前
★閉館:1964年以降(1964年存在確認)
◎場所:久米島町(当時・仲里村)
◎経営主:大工廻盛経


久米島の旧・仲里村にあった劇場。「琉球新報」の'57年正月号に広告が掲載されていることから、'56年末には存在していたことが分かる。
久米島出身のとある方の証言によると、旧・具志川村にあった劇場2館(『久映館』『久米島琉映館』)よりも先に旧・仲里村に劇場が誕生したらしい。その劇場がこの『光洋館』である可能性が高いが、我々が調べた資料で『光洋館』が一番古くに登場するのは上記の「琉球新報」の'57年正月号であるため、確定には至らなかった。

伊江島:日映館

☆開館:1957年5月以前
★閉館:不明(1964年存在確認)
◎場所:伊江村LinkIconMAP
◎経営主:前田進


伊江島にあった映画館。
「琉球新報」の '57年5月18日号に掲載された沖映と琉映貿のチェーン館による「声明文」にこの劇場も名を連ねている。

宮古島:宮古琉映館 ←宮古平和館

☆前身『宮古平和館』
☆移転・改称『宮古琉映館』←『宮古平和館』:1957年1月〜5月
★閉館:1992年3月24日
◎場所:宮古島市(当時・平良市下里)LinkIconMAP
◎経営主:真栄城徳松〜真栄城和夫


『宮古平和館』が場所を移転し、『宮古琉映館』として新装開館。
『宮古平和館』('50年開館)の頃から計算すると宮古島では『宮古国映館』に次いで長く続いた映画館である。

'92年3月24日に改装工事に着工したようだが、そのまま閉館している。

石垣島:八重山オリオン座 ←千歳館

☆前身『千歳館』
☆改称『八重山オリオン座』←『千歳館』:1957年11月14日
☆改称『千歳館』←『八重山オリオン座』:1968年以前
◎場所:石垣市石垣
◎経営主:山城興常


'57年11月、『千歳館』がオリオン系列の劇場になり、『八重山オリオン座』に改称。
我々の調べでは、この時点で『千歳館』→『八重山沖映館』→『千歳館』→『八重山オリオン座』と、3回も劇場名を改称している。

※参照:LinkIconコラム3:千歳館と万世館の謎

1958年〜1959年

石垣島:八重山国際館 ←八重山琉映国際館

☆前身『八重山琉映国際館』
☆改称『八重山国際館』←『八重山琉映国際館』:1957〜1958年頃
★閉館:1970年代?
◎場所:石垣市石垣
◎経営主:石垣長泰


諸々の資料を調査したところによると、『八重山琉映国際館』は'57年初頭までは「琉映」の名称が付いているが、それ以降は『八重山国際館』もしくは『国際館』という表記で登場している。'58年6月の『八重山琉映館』(↓下の項目)の登場により、「琉映」の冠を外したと思われる。

※参照:LinkIconコラム3:千歳館と万世館の謎

石垣島:八重山琉映館

☆開館:1958年6月13日
☆改称『八重山沖映館』←『八重山琉映館』:1960年
◎場所:石垣市
◎経営主:石垣長泰


石垣市教育委員会市史編集課が作成したHP「八重山 近・現代史 略年表」によると、'58年6月13日に『八重山琉映館』が開館している。
同じ石垣島にあった『千歳館』が『八重山琉映館』を名乗った時期があるようだが、それとは別である。
八重山にあった映画館については複雑かつ不明な点が多いので、下記のリンク先のコラム『千歳館と万世館の謎』を読んで頂きたい。

※参照:LinkIconコラム3:千歳館と万世館の謎