『沖縄映画興行伝説』 沖縄南部にあった映画館 PAGE:4('54〜'59)

沖縄南部にあった映画館   PAGE:4(1954年〜1959年)

  ※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
  ※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館

糸満市:楽天地 ←南部沖映館?

Itoman_Rkutenchi(54_02~03)net.jpg楽天地:1954年2〜3月頃 写真提供/山里将人☆前身?『南部沖映館』
☆移転・改称?
 『楽天地』←『南部沖映館』:1954年2月以前
☆改称『南部東映』←『楽天地』:1960年代
★閉館:不明
◎場所:糸満市・通称:映画館通り(当時・糸満町)LinkIconMAP
◎経営主:仲宗根政幸


'54年2〜3月頃に撮られたと思われる写真があり(掲載写真)、「琉球新報」'54年3月13日号に『楽天地』の名が久しぶりに新聞に登場していることから、『南部沖映館』から『楽天地』に名称を戻したと考えられるが、『南部沖映館』は別に存在した情報もある。
その謎の詳細については沖縄南部にあった映画館・PAGE2の『楽天地』の項目を読んでほしい。

糸満市:南部琉映館

☆開館:1957年6月
☆火事で全焼:1963年
☆興行再開:不明
★閉館:1987年3月
◎場所:糸満市(旧糸満町 通称・映画館通り) 
◎経営者:仲宗根政幸


『楽天地』『南部沖映館』を経営していた仲宗根政幸氏が、糸満の通称・映画館通りに開館した琉映貿系列の映画館。
'63年に火災を起こし、建物を全焼させたらしいが、同じく仲宗根氏が経営していた『楽天地』も '51年7月に火災に遭っている。

糸満市:糸満国映館 ←新世界館

☆前身:『新世界館』
☆改称開館『糸満国映館』←『新世界館』:1957〜1959年
★閉館:不明(1963年8月存在確認済み)
◎糸満市糸満市(旧糸満町 糸満ロータリー前)LinkIconMAP
◎経営主:上原重雄

ItomanKokuei(60_07~09)net.jpg糸満国映館:1960年7〜9月 写真提供/山里将人ItomanKokuei(2010_07_24)net.jpg糸満国映館(新世界館)跡:2010年7月 撮影/當間早志'50年代初頭にとして開館。当初は琉映系列の映画館だったが、'55年に国映系列の傘下に入り、しばらくして『糸満国映館』に改称する。

資料には「南部国映館」と表記されることがあるが、『糸満国映館』が正しい。

与那原町:モナリ座

☆開館:1959年末以前
★閉館:1984年9月
◎与那原町LinkIconMAP
◎経営主:山内久光


「琉球新報」の '60年正月号に広告が掲載されていることから、'59年末には存在していたことが分かる。それ以前に登場した記録が見あたらない。