※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館
今帰仁沖映館:1960年夏 写真提供/山里将人☆前身『今帰仁劇場』
☆改称『今帰仁沖映館』←『今帰仁劇場』:1954年以前
☆改築:1950年代後半
★閉館:1969年
◎場所:今帰仁村仲宗根MAP
◎経営主:長田節
'54年頃に撮られたと思われる写真があり、建物には「今帰仁沖映館」と表記されている。'60年に撮られた写真(右)と見比べてみると、建物の形状がやや変わっているので、'50年代後半に改築されたようだ。
『今帰仁沖映館』に改称した後も『今帰仁劇場』と呼ばれることが多かったらしく、新聞でも'65年頃まで『今帰仁劇場』と表記されることが度々ある。
今帰仁村にあった映画常設館はこの劇場1館だけだったようで、「〜沖映館」を名乗りながらも、琉映貿系の邦画も上映していた。
☆開館:1955年以前?
☆移転・改称『国頭映劇』←『半地劇場』:1960年3月27日
◎場所:国頭村半地MAP
◎経営主:大田良通〜国場れい子
国頭村半地にあった劇場。地元の取材で、『二十四の瞳』('54年松竹・監督:木下恵介)をこの劇場で見たという証言があることから、'55年以前には開館していたと思われる(リバイバル上映の可能性もある)。
新聞で「繁地劇場」と表記されたことがあるが、『半地劇場』が正しい。
'60年、現「国頭診療所」辺りに『国頭映劇』を新設したのをきっかけに閉館。
名護国映館:1960年夏 写真提供/山里将人☆前身『大丸映画劇場』
☆改称『名護国映館』←『大丸映画劇場』:1957〜1959年
★閉館:1991年4月25日
◎場所:名護市(当時・名護町)MAP
◎経営者:大城吉正、大城哲郎
『大丸映画劇場』が『名護国映館』に改称。『大丸映画議場』が新聞に最後の登場したのは、'57年初頭までで、『名護国映館』の名前が登場するのは'60年正月なので、'57〜'59年の間に改称したと思われる。
右の掲載写真は '60年夏に撮られたものなので、すでに『名護国映館』に改称した後だが、上映している作品はなぜか琉映貿系の作品(日活作品『渡り鳥いつまた買える』)。