『沖縄映画興行伝説』 沖縄中部にあった映画館 PAGE:5('60〜'72)

沖縄中部にあった映画館   PAGE:5(1960年〜1972年)

  ※劇場名の赤色表記は、この年に開館(改称)したことが分かっている映画館
  ※劇場名のオレンジ表記は、開館年が不明だがこの頃にはあったと思われる映画館

嘉手納町:嘉手納第二東映

☆開館:1960年5月
☆改称『嘉手納東映』←『嘉手納第二東映』:1963年8月頃
◎場所:嘉手納町嘉手納(当時・嘉手納村)LinkIconMAP
◎経営主:町田宗俊


当時、興行成績の良かった東映が、売上拡大をねらって '60年に「第二東映」を設立(のちに「ニュー東映」になる)。製作本数の増えた東映系の映画を上映するため、全国各地に第二東映専門館が誕生した。この劇場もその一つである。

『コザ琉映館』の劇場主である比嘉良実氏の話によると、『コザ琉映館』も第二東映系の専門館として開館させたらしいが、当の製作会社「第二東映(ニュー東映)」が興行不振で2年ぐらいしかもたなくて解散したため、元の『コザ琉映館』へ戻したそうだ。また、他に「第二東映」と名乗った映画館も4〜5年で消えたという。
この『嘉手納第二東映』も、のちに『嘉手納東映』へ改称している。

うるま市:石川第二東映

☆開館:1960年6月
☆改称『石川東映』←『石川第二東映』:1963年8月頃
◎場所:うるま市石川
◎経営主:上間久雄


うるま市石川にあった第二東映系の映画館。経営主は『石川琉映館』と同じ上間久雄氏。
『嘉手納第二東映』↑と同様、「第二東映(ニュー東映)」の解散に合わせて、のちに『石川東映』へ改称している。

沖縄市:コザ琉映館 (※現役2番目に最古の映画館)

KozaRyuei(2008_03_15)net.jpgコザ琉映館:2008年3月 撮影/當間早志☆開館:1960年7月
◎場所:沖縄市照屋(旧・コザ市)LinkIconMAP
◎経営主:比嘉良実


コザ十字路近くに第二東映系の作品を上映するために開館した映画館。

未だ現役の映画館で、『島袋琉映館』が閉館して後、コザの映画館はこの一館だけとなった。
館主の比嘉良実氏も'50年代から映画館を経営し続ける沖縄映画興行界の生き字引だ。
この希少価値の高い映画館の存続を考える術をコザの映画ファンに求めたい。
KozaRyuei(2000_04)net.jpgコザ琉映館(館内):2000年4月 撮影/平良竜次

沖縄市:自由劇場 (※住吉のコザ沖映館跡地に開館)

☆前身『コザ沖映館』(住吉時代)
☆開館:1960年8月頃
★閉館:不明
◎場所:沖縄市住吉(当時・コザ市)LinkIconMAP


「琉球新報」の'60年8月13日号の「中部映画案内」に登場しており、<自由劇場(旧コザ沖映)>と記載されている。『コザ沖映館』はこの年の6月に城前町へ移転しており、この劇場は移転前の『コザ沖映館』の建物を「乙姫劇団」が買い取って開館されたそうだ。
芝居中心の劇場だが、沖映系の映画も上映していた。

※情報協力:LinkIcon沖縄市役所総務課市史編集担当

宜野湾市:開放地琉映館

Ginowan_KaihouchiRyuei(2008_03_15)net.jpg『開放地琉映館』の名称が使われた不動産会社の看板 撮影/當間早志☆開館:1961年2月11日
★閉館:1985年1月
◎場所:宜野湾市普天間(当時・宜野湾村)LinkIconMAP
◎経営主:古波蔵信雄〜崎山幸男


『グランドパレス』を経営していた古波蔵信雄氏が、『グランドパレス』の近くの軍用地跡の開放地に開館した。
現在、建物はなくなっているが、不動産会社の名前に劇場名の名残がある。


沖縄市:中之町琉映館(中の町琉映館) ←中部琉映館(移転・改称)

☆前身『中部琉映館』
☆移転・改称『中之町琉映館』←『中部琉映館』:1961年
★閉館:1965年頃
◎場所:沖縄市上地・中の町地区(当時・コザ市)LinkIconMAP
◎経営者:桑江朝幸


東映系と日活系の新作を中部で上映していたコザ興行社が『ゴヤ琉映館』と共に運営していた映画館。『中部琉映館』が現・むつみが丘公園近くに新築移転し、劇場名も変えて開館した。

うるま市:屋慶名琉映館

YakenaRyuei(2011_05_26)net.jpg屋慶名琉映館 跡:2011年5月 撮影/平良竜次☆開館:1963年4月以前
★閉館:1960年代後期(1966年6月興行確認)
◎場所:うるま市与那城(当時・与那城村)LinkIconMAP


勝連半島の屋慶名大通りにあった映画館。「琉球新報」の'63年8月15日号の映画情報欄「きょうの映画」に登場。「沖縄公文書館」が所蔵している資料で、'63年4月30日に撮影された『屋慶名琉映館』の写真があるのでLinkIcon(沖縄県公文書館所蔵の写真)、開館したのはそれ以前だということが分かる。

とある屋慶名の名士だった方の回想録によると、この映画館が建てられたのは映画館が斜陽の時期で、すでにテレビも普及し始めていたらしいので、開館したのは'60年代に入ってからだと思われる。

最後に興行が確認できたのが、'66年6月30日で、それ以降の資料でも名前が見あたらない。
閉館後は農協に売却されたそうで、現存する建物には「与那城村農業協同組合 施工日1969年2月1日」と書かれた表示があることから、'66年7月〜'69年1月頃に閉館したと推測できる。

うるま市:石川東映 ←石川第二東映

☆前身『石川第二東映』
☆改称『石川東映』←『石川第二東映』:1963年7月以前
★閉館:1964年8月〜1966年7月
◎場所:うるま市石川(当時・石川市)
◎経営主:上間久雄


映画製作会社『第二東映(ニュー東映)』の解散に伴い、『石川第二東映』から『石川東映』へ改めている。
「琉球新報」の'64年7月1日号の映画情報欄「きょうの映画」に掲載されたのを最後に、この劇場が興行を行った記述が登場しなくなっているが、「沖縄タイムス」の'66年8月9日号に掲載された記事「姿消す映画館」によると、'64年〜'66年7月までに閉館した映画館の一つに挙げられていることから(文中では『石川第二東映』と表記)、'64年8月〜66年7月の間に閉館したと思われる。

※参照:LinkIcon『嘉手納第二東映』

うるま市:安慶名第二東映

☆開館:1963年7月以前
★閉館:1964年後期?
◎場所:うるま市安慶名(当時・具志川村)
◎経営主:与那覇政吉


開館時期は不明だが、映画製作会社『第二東映(ニュー東映)』が存在した'60年〜'62年頃なので、その頃に誕生した可能性がある。

※参照:LinkIcon『嘉手納第二東映』

嘉手納町:嘉手納東映 ←嘉手納第二東映

☆前身『嘉手納第二東映』
☆改称『石川東映』←『石川第二東映』:1963年8月以前
★閉館:1966年後期?(火災で焼失)
◎場所:嘉手納町嘉手納(当時・嘉手納村)LinkIconMAP
◎経営主:町田宗俊


『嘉手納第二東映』から改称。
近所の住民の証言によると、火災により建物を焼失したため、余儀なく閉館したそうだ。

うるま市:与勝映画劇場

Katsuren_YokatuEigaGekijo(Fumei)net.jpg勝連映画劇場:撮影時期不明 写真提供/山里将人☆開館:1963年以前
★閉館:1964〜1966年7月
◎場所:うるま市勝連平安名(当時・勝連村平安名)LinkIconMAP
◎経営主:太田俊夫


『与勝琉映館』の太田俊夫氏が経営していた沖映系の映画館。
「沖縄タイムス」の'66年8月9日号に掲載された記事「姿消す映画館」によると、'64年〜'66年7月までに閉館した映画館の一つに挙げられているが、そうなると開館時期が'63年頃というのはあまりにも短命すぎる。しかし今のところ、'63年より以前の資料でこの劇場の名は発見できてない。
掲載した写真(右)に運営時期を特定できるヒントが隠されている可能性があるはずだが、画質が鮮明でないため、難しい。

沖縄市:コザロキシー ←コザ沖映館

KozaRoxy(78_08~)net.jpgコザロキシー:1978年8月以降 写真提供/沖縄市役所総務課市史編集担当☆前身『コザ沖映館』
☆改称『コザロキシー』←『コザ沖映館』:1968年5月8日
★閉館:1984年4月頃
◎場所:沖縄市城前町(当時・コザ市)LinkIconMAP
◎経営者:仲村兼勇、比嘉定佑


沖縄の映画配給会社の大手「沖映」の宮城嗣吉社長が '65年3月に「大映」と「松竹」の配給権を琉映貿の無条件譲渡。それ以来、沖映系列の映画館の中で、改称したり閉館する劇場がいくつか現れた。
『コザ沖映館』も沖映系からオリオン系に移行したことに伴い、劇場名を『コザロキシー』に変更して開館して、洋画専門の映画館になった。

「沖縄市役所総務課市史編集担当」より提供して頂いた写真(右)の撮影時期は不明だが、車が左側通行になっているので、'78年8月以降に撮られたものであることが分かる。

劇場があった場所は現在、「住友生命沖縄分館」のビルになっている。

※情報協力:LinkIcon沖縄市役所総務課市史編集担当

時期不明の映画館

嘉手納町:かい楽館

☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:嘉手納町

『嘉手納沖映館』の前身にあたる劇場らしいが、運営していた時期が不明である。

うるま市:大永劇場

☆開館:不明
★閉館:不明
◎場所:うるま市石川(旧・石川市)


写真集「沖縄戦後史」('86年発行・那覇出版社)に写真が掲載。うるま市石川にあったらしいが、時期が不明である。