キネマ探偵団 ぼくとグラマと具良間島 PAGE.1

ぼくとグラマと具良間島

當間 早志

グラマ島への誘惑

川島雄三監督作品との出会いは、'89年1月に僕の所属する映画サークル(現シネマラボ)突貫小僧主催の「キネ探シアター」で見た『幕末太陽傳』('57)であった。
幕末の品川遊郭を舞台に、無銭飲食して居直った “居残り” こと佐平次が縦横無尽に振る舞う喜劇で、佐平次を演じるフランキー堺の軽妙な動きとクールなキャラ、kawashima08.jpgそして遊郭で働く人々やお客たちの人間模様が小気味よく描かれており、廓(くるわ)の世界や江戸っ子の粋(いき)をまだよく知らなかった当時(大学生)の僕でも、面白く堪能できる傑作だった。

この作品で川島雄三という監督の存在が気になりだしたので、彼に関する文献を調べたり、「キネ探シアター」の作品選定会議の時にも川島作品を何度か候補に挙げた。
その甲斐あって、『しとやかな獣』('62)や『洲崎パラダイス赤信号』('56)といった傑作を「キネ探シアター」で上映することができ、ますます川島雄三の虜になっていった。

川島雄三が学生の頃は、大の小津安二郎監督ファンだったらしい。大学の映画研究会時代に書いたという彼の小津安二郎論も、何かの本で読んだことがある。
かくいう僕も、川島作品と出会った当時は大学の映研に在籍しており、大好きな小津作品の評論を書きまくっていた。
そんな共通点が、僕の川島雄三への興味をさらに引き立てたのだと思う。

…ところが、だ。
後期の小津作品によく見られる道徳的で上品な世界に対し、川島作品は俗っぽくやや下品な世界を描いたものが多い。厠(かわや)のシーンや風俗ネタは川島作品の十八番だし、乱れた色恋沙汰もよく登場する。

このあたりは、軽度の小児マヒ、あるいは進行性の筋萎縮症を患っていたと言われる川島監督の手足がやや不自由であったところに起因すると思っている。
その病に対する反動から、世の中のキレイ事を避け、人間の弱さや意地汚さ、そして低俗な世界を肯定するようになったのではないだろうか。
自分の命の短さ予感していた節もあり、モラルにとらわれずに人生を刹那的におう歌する人々に共感していたのかもしれない。

そんな彼が “天皇制批判” をした喜劇といわれる『グラマ島の誘惑』('59)という作品を、当時調べまくった文献で目にした。
低俗な世界をよく描く川島監督が「天皇制批判」した「喜劇」である。
タイトルにある「グラマ」というカタカナも何だかイヤらしい。
かなりマニアックな作品らしく、それ以上の情報をほとんど得ることができなかったが、僕の見たい気持ちをそそるには充分なキーワードがそろっていた。
文字通り、“グラマ島に誘惑された” のだ。

早速、「キネ探シアター」の作品選定会議に候補として挙げたのだが、配給的に不都合という大人の理由で、僕らの手で上映することは不可能だった。
仕方なく県内のビデオ・レンタル店で探しまくったが、川島作品があること自体が希で、その中でもマニアックな『グラマ島の誘惑』は当然見つからず。
テレビでもなかなか放映されない。
“天皇制批判” という内容も、市場に出回りにくくさせた要因かもしれない。

いつしか『グラマ島の誘惑』は僕にとっての “幻の映画” と化し、見るのを諦めるようになっていった…。