キネマ探偵団 川島雄三監督 論 PAGE.2

…つづき

粗製乱造の松竹時代

戦後はコメディー映画を大量生産。「新大船調の復活」と評価される。
売れっ子監督として名を成し、毎晩飲み明かしても使い切れないぐらいの金を得るのだが、kawashima01.jpg川島は現状に不満を抱いていた。これまで以上に酒癖が悪くなり、映画製作にも意欲を失っていく。
確かに、この当時の彼の作品群は名作、凡作、珍作と玉石混合しており、彼の悩みが見て取れる。会社重役から要求される安易な「売れる映画」づくり。冷酷に進行する病…。
興行収益が年々うなぎ昇りの黄金時代を迎えた邦画界のど真ん中で、川島は孤独に悩みつつも、それを決して人に見せることなく、公私を問わぬバカ騒ぎを続けていた。

映画界の渡り鳥

1954年(昭和29年)、初の文芸大作『真実一路』(`54)を完成。コメディーからメロドラマまで器用にこなす川島を、松竹の重役陣は便利な存在としてしか見ていなかった。だが同年、彼は活動を再開した日活へ電撃移籍、周囲を驚かせた。
日活時代の川島は当初、重役陣に「どういった作品を撮りたいのか?」と尋られたところ、kawashima05.jpg「特にない」と答えて唖然とさせたほど、やる気がなかったという。
だが、新しい撮影所、やる気のある若いスタッフや役者陣に感化されたのか、松竹時代と打って変わり仕事に厳しく打ち込むようになる。スタッフを叱ることも多かったが、若い彼らのために勉強会を催したり、優しい気遣いを見せたりするなどして、徐々に尊敬を集めていく。
そんな川島が精魂を傾けて撮り上げたのが『幕末太陽傳』(`57)である。落語の「居残り佐平次」を下敷きにしたこの時代劇コメディーは大ヒットを記録。金がないのに廓に居座り、持前の才覚で次々とトラブルを解決。労咳を患いながらも「首が飛んでも動いてみせまさぁ」と意気がる佐平次は、まさに川島の分身といえる。
批評家から絶賛(第31回キネ旬ベストテン第4位)されたが、本人は上層部と現場の軋轢や予算面の制限などに不満を持ち、移籍からわずか3年後の1957年(昭和32年)に日活を辞めてしまう。

その後、東京映画で『グラマ島の誘惑』(`59)、『貸間あり』(`59)を、大映で『女は二度生まれる』(`61)、『雁の寺』(`62)、『しとやかな獣』(`62)を監督。どれも人間の持つ欲望や卑小さを軽妙なセンスで描いたオリジナリティー溢れる作品として今日も語り継がれている。

積極的逃避と幻のラストシーン

川島雄三の考え方を表す言葉としてよく出るのが「積極的逃避」である。これに関するユニークなエピソードが残っている。
前述の『幕末太陽傳』撮影の際、助監督の今村昌平は川島に「この映画のテーマは?」と尋ねたところ、「積極的逃避」と答えた。だが今村は当時その真意がわからなかったという。

kawashima04.jpgやがて撮影が終了に近づき、佐平次が品川の郭(くるわ)を逃げ出すラストシーンのときである。川島は台本にないことをスタッフに命じた。佐平次はセットを抜け出し、撮影所からも出て行き、現代の街並みを逃げていく場面を撮影するというのだ。
故郷から逃げ、忌まわしい一族の“血”から逃げ、刻々と迫りくる死からも逃げようとする川島雄三。彼はこのラストシーンを通して自分の美学である「積極的逃避」を表現しようとしていたのでないだろうか?

だが、この斬新過ぎるアイデアはスタッフ・キャストの猛反対により止められてしまう。結局、川島が折れ、型破りのラストシーンは幻に終わった。
もしこれが実際に撮影されていたら…。かえすがえすも残念な話である。

早すぎる死と後世への影響

日本映画界には珍しいドライな(突き放した)喜劇を作れる才人としてますます期待されるのだが、病は容赦なく進行し、1963年(昭和38年)6月11日、東京・芝のアパートにて急逝。享年45歳。死因は肺性心として診断された。
彼は生前、「遺骨は飛行機から空に撒いてくれ」と言っていたが、叶えられることはなく下北の実家の墓に納められることになった。忌避と懐かしさが奇妙に同居した故郷の土の中で、川島は何を思っているだろうか?

kawashima18.jpg51本もの作品を残した川島だが、名作・珍作・乱作と個々の作品の評価は様々。そのためかえって興味をひかれ、死後も「カルト映画監督」として注目され続けており、彼についての漫画や伝記、研究本などが多数出版されている。
また、後人への影響も大きい。日活時代の川島作品で助監督を務めた今村昌平はハッキリと影響を受けていると公言。小説家の藤本義一も大映で川島に師事し『貸間あり』の共同脚本で創作方法を学んだという。他にもフランキー堺や殿山泰司、小沢昭一など個性豊かな役者陣と、公私ともに交わり大きな影響を与えた。

今も昔もウェットで重い作品がもてはやされがちな日本映画界だが、かつてこの国に、絶望的なまでに孤独な内面を抱えつつも、それを笑い飛ばしてしまうシニカルで都会的な作品を作り続けたクリエイターがいたことを忘れてはなるまい。


「川島雄三監督 論」 平良 竜次