「AFFF」最優秀作品&監督賞受賞記念! 宮平貴子監督独占ロングインタビュー
そこで今回は、『アンを探して』の仕上げ作業を行っている真っ最中だった昨年末に帰郷した際に行った独占ロングインタビューを掲載します。
顔見知りということもあり、和気あいあいとした雑談的な形でインタビューが進行。雑誌や新聞や一般映画サイトではなかなか見られないような、彼女の可愛らしいあわてん坊ぶりまで披露してもらいました(笑)。
また、本インタビューでは宮平監督と同じく突貫小僧OBで映画監督の當間早志も参加、同じ映画人として、映画演出の核心に迫る箇所にまで質問しています。その結果、映画業界を目指す人にとってかなり有益な内容になっているかと思います。
同時に、華々しいイメージがある映画の裏側で、実は地味で孤独な作業があることを宮平監督本人が率直に語っているところも、本インタビューの肝といえるかもしれません。
そういった箇所も含めて思う存分堪能いただけると幸いです。
挫折の真っ最中に
舞い上がったカナダ映画修行
突貫:カナダに行ったのが何年だっけ?
宮平:えーと、2003年の11月です。
突貫:カナダに行って、すぐクロード・ガニオン監督と出会ったの?
宮平:いえ、その前にガニオン師匠が日本で撮った『リバイバルブルース』('03)という作品があって、その作品のロケが沖縄からスタートしたんです。スゴイ低予算の作品だったんで、カメラアシスタントを素人でもいいから誰かやらないか?ってことで行ったんですよ。
突貫:あ、最初は沖縄で出会ったんだ。
宮平:はい、居酒屋で面接とかあって(笑)。それで決定になったんですが、本当は沖縄ロケだけの予定だったんですよ。
突貫:沖縄ロケだけに参加する予定だったってこと?
宮平:はい。で、ガニオン師匠をはじめクルーとも上手くいっていたんで、(沖縄ロケ以降の)京都、東京もやってもらえるか?ってことになって。わたしはちょっと卒論返上で…(苦笑)。
突貫:そっか、その時はまだ大学生?
宮平:はい。実はその頃、本当にもう映像をやめようと思っていたんですよ(笑)。
突貫:え?なんで?
宮平:ずっと自主製作で、学生同士で映画を撮っていたじゃないですか。上映とかもして、結構鼻高々だったんですよ。でもその夏だったかな? 大学4年の夏ぐらいに初めてプロの映像製作の現場に入ったんですよね。CMの現場でしたけど、あまりにも自分の無知さにビックリして(笑)あのー、なにもかもが全然知らないことばっかりだったんで…。
突貫:こんな風に仕事を進めるのか!みたいな?
宮平:そうそう!こんな風にディレクターがいて、制作がいて、プロダクションアシスタント(以下PA。制作助手)がいて…。でわたしはその時PAで参加したんですけど、あまりにも…なんて言うのかな…あの、なんかわたし、映画は知っていたつもりだったんですけど、プロの制作現場を間近で見たことがなかったって言うのと、勉強不足だったんですよね。プロがどういうことかっていうのも、あんまり調べようとしなかったんですよ(苦笑)。で、無知なまんま行ったものだから、もの凄くショックを受けて、「よし、頑張るぞ!」って言うよりも、ちょっとなんか「あ。もうやめよう」って(苦笑)。
突貫:打ちのめされた感じ?
宮平:そう、打ちのめされて。あきらめが早くて、わたしはここで勝負しない方がいいかと思って、他の仕事を慌てて探し始めたんですよ。映像製作以外の。何かちょっと怖かったんでしょうね。自分の世界で鼻高々になった時期があって、すぐにでも映像界の大物になってやるみたいな、訳の分からない自信があって。でも現実を見てびっくりしたというか。で、他の仕事をしながら、趣味で映像はやろうって思っていた時に『リバイバルブルース』の話が来て。それが長編映画の初めての現場でした。
突貫:その現場はどうだった?
宮平:正直その映画の現場に救われました。この低予算の『リバイバルブルース』って、かなりスタッフが少なかったんですよ。本当に役者さんとガニオン師匠がカメラもやったんで、わたしはそのアシスタントですからファインダーからも近いし。なんて言うのかな、結構小規模で、ロケバスも一台で…。
突貫:役者さんも合わせて10名とか、そんな感じ?
宮平:そう、助監督も一人で、衣装さんも一人、役者さんの自前の、内藤剛志さんとか奥田瑛二さんとか桃井かおりさんも自前の衣装でやっている雰囲気だったんで、ものすごくコアな部分に参加出来たんですよ。
突貫:へぇ〜〜!
宮平:画面からも近いし、役者さんからも近いし。それがとっても楽しくって。で、あのーまた長編映画の現場が、またちょっとCMの現場とはまた違うストイックな感じで。それはガニオン師匠の人柄もすごくあったと思うんですけど、いわゆる日本で言う「厳しい」って言う監督じゃなくて、役者さんの意見を聞きながら「じゃあこれやってみよう、それやってみよう」っていう、現場でチャレンジしていくような感じの監督だったんで、わたしも何回かミスはしましたけど「じゃあ次頑張ろう」って、そういうオープンな感じだったんですよ。
突貫:すんなりとその現場に入って行けた
宮平:そう!「あ、やっぱり映画いいな」と(笑)。
突貫:ミスと言えば、撮影初日になんかミスしたって聞いたよ。
宮平:(笑)そうです。録音の川島さんって言う方にすごく親身になって教えていただいていて、ケーブルの持ち方とか、そういう基本的なことを教えていただいていたんですけど、撮影初日、一番最初のレストランのシーンで、ケーブルを水道の水が溜まった中に落としてしまったんです。まぁそういうこともありました(苦笑)。
突貫:それが初日(笑)。
宮平:でもそれが厄払いって言ったらアレですけど(苦笑)みんないいよって言ってくれて。現場で皆さんに助けていただいたって感じでしたね。
英語の上に、さらにフランス語なんて…
突貫:で、2002年に『リバイバルブルース』に参加して、そのままガニオン監督の所に…?
宮平:いや、それが終わって1年間ぐらい沖縄で、また映像制作の現場を見つつ、スクリプター(撮影したシーンの内容を記録・管理する役割。「記録」とも呼ばれる)とか、PAとか、フリーで働いていました。主に制作のスタッフとして、いろんな会社でやっていたんですよ。いつ外から映画の仕事が入るか分からないから、あんまりどこかの会社に就職って事はしたくないってことでフリーで、いつでも自分の身を開けられるようにして。あと自分でもまた作品を撮っていたんで、そういうことも出来るようにしていたんです。そしたら『KAMATAKI〜窯焚〜』(`05)っていうガニオン監督の次回作の構想があると言うことで、リサーチも兼ねて参加してくれないか?っていう話をいただいて。
突貫:『KAMATAKI〜窯焚〜』が2005年公開だから、参加したのは2003年とか04年のこと?
宮平:そうですね、2004年です。あ、最初は2003年に、焼き物が絡む話っていう企画を聞いて。その時は沖縄の壺屋焼を調べて欲しいって言うことで、資料とかを送ったりしていたんですけど、リサーチをすすめるに従って、やっぱり沖縄の焼き物の色じゃないなっていうことになって、滋賀県の信楽焼ってのがあって、信楽を舞台にした作品に変わっていったんです。そういうリサーチ作業は、仕事の合間に何ヶ月かやっていたんですけど、だからガニオン師匠が来た時に滋賀に行って、いろんな人のリサーチをやりながら進めているところに合流した感じでしたね。
突貫:その時は助監督として参加?
宮平:そうです。でも助監督ってわたし一人だったんですよ。
突貫:じゃあその時もスタッフは少なかったの?
宮平:最初は『リバイバルブルース』と同じぐらいの規模でやるつもりだったそうなんですけど、いろいろ増えてきて。NHKさんとの共同制作だったんで、機材をNHKさんから借りたことで、撮影部のスタッフが増えたり、結構大きな規模になりましたね。…あぁ、(英語と日本語の整理が出来なくて)ちょっと苦しい(苦笑)
早志:頭の整理が大変? 日本語で考えるのが大変?(笑)
宮平:(苦笑)。
早志:向こう(カナダ)に行ったら、英語で考えるの?
突貫:フランス語じゃないの(ケベック州の公用語はフランス語)?
早志:あ、フランス語使っているの?
宮平:フランス語は……話せません。
突貫:あれ?フランス語勉強しているって言ってなかった?
宮平:していたんですけど…。
突貫:過去形?
宮平:過去形なんですよ〜(泣き笑い)。
突貫:ガニオン監督は?
宮平:ガニオン師匠は英語です。日本語も出来るんですけど、主に英語ですね。
突貫:でも実際カナダで仕事していると、コミュニケーションはどうなの?
宮平:わたしが勤めている会社がZUNO FILMSってところなんですけど、ガニオン師匠がディレクターで、プロデューサーでもあるんですよ。それと奥さんのユリ・プロデューサーがいて、ユリ・プロデューサーは日本人で、日本語、英語、フランス語をしゃべれるんですよ。で、わたしはカタコトの英語と、カタコトの日本語で(笑)。
突貫:カナダでの映画制作ってどんな感じなの?
宮平:カナダって、制作資金の援助システムが結構あって…。
突貫:政府から援助資金が出るんだ?
宮平:はい、テレフィルム・カナダ(カナダ政府母体の機関)から出るものと、あとケベック州の助成金があって、それが脚本のデベロップメント、それと映画の製作資金と、あとポストプロダクション(撮影後に行う編集、効果音などの仕上げ作業の総称)への助成もあって、選ばれれば政府からお金が下ります。その助成金の応募に提出するため、プレゼンテーションを作成したりします。あと話はちょっと戻りますけど、『KAMATAKI〜窯焚〜』の編集アシスタントもやって、編集を手伝ったりだとか、あとリサーチも兼ねてドキュメンタリーを撮っていたんで、その間は特にコミュニケーションの問題はなかったですね。本当にスタッフ、ガニオン師匠とか、ユリ・プロデューサーとか、あとサミュエル(ZUNO FILMSの社長)…あ、すみません。サミュエルが(ZUNO FILMSの)社長なんですけど。
早志:あ、社長はガニオン監督じゃないんだ?
宮平:そうです。ガニオン師匠の息子さんで、プロデューサーのサミュエルが社長をしています。で、助成金のことですけど、ケベックの助成金とか、テレフィルムとの共同製作のパーセンテージがいろいろややこしいんですよ。共同製作だったらケベックの役者さんを使わないといけないとか、出費がここまでで抑えないといけないとか。日本は特にそういう枠はないんですけど、カナダは公的資金ってのもあって、すごく細かいんですよ。
突貫:でも国が応援しているってのはいいことだよね。
宮平:そうですね。30年ぐらい前からそういう制度をスタートしたって聞いたんですけど、日本はカナダより人口が多いですよね。日本だと映画を作った時に(製作費を)回収出来る…採算がとれるんですよ、別に政府の力を借りなくても。でもカナダでは、映画を作っても、回収出来る人口がまず足りてないってことがあって。だから映画がビジネスとして成り立たなかったら、文化的な危機になるじゃないですか。カナダ映画がすたれちゃうってこともあって。隣にアメリカがあって、競争的には激しいので、それを応援するために、カナダの助成機関が発足したみたいです。だから機関としてしっかりしていて、例えば脚本を読む人とか、企画書を読む人は別の人。外からの人を使うとか、公平になるようにしているようですね。
突貫:なるほど〜。
宮平:この映画(『アンを探して』)の監督と脚本で、わたしも製作資金の助成を頂くために、その面接もやりましたよ。8人ぐらいの面接官と、英語で!
早志:おぉ、スゴイ!
「赤毛のアン」にフォーリン・ラブ!
突貫:と言うことで『アンを探して』の話に行きましょう。まず作品の企画は…。
宮平:もともとユリ・プロデューサーの企画がありまして。もの凄くシンプルなラインがあって、日本人の女の子が「赤毛のアン」の故郷に行って、何か人生で大切なものを得るっていうストーリーで。
突貫:そのラインで物語が出来ないか?っていう企画だったわけ?
宮平:そうです。それで、ユリ・プロデューサーが他のライターさんとやっていたんですよね。それはたぶん10年ぐらい前からやっていて…。
突貫:あ、昔から温めていた企画だったんだ?
宮平:そう、昔からあった企画で、全然別のバージョンで他の物語もあったんですよ。
突貫:いろんな種類の脚本があったって事?
宮平:そうです。わたしが参加する以前にも。わたしも読ませてもらったりしたんですけど。で、カンヌ(映画祭)の何かでプレゼンテーションをするって言うサミュエルの提案があって、「こういう企画あったよね」って、久しぶりに、もう8年ぶりぐらいに本格的にやってみようかってことで、みんなで企画会議をして。わたしはその時ドキュメンタリーの編集で忙しかったんで、本当に片耳で聞いているぐらいだったんですけど、「貴子の意見も欲しいから、とりあえず「赤毛のアン」を読んでみて」って言われて。わたしは「いや、「赤毛のアン」なんて」って(苦笑)感じだったんですよ。
突貫:それまでは読んだこともなかったの?
宮平:ちゃんと読んだこともなくて、本当に子どもの…アニメもみてなくて、アニメのグッズのイメージしかなくて「あの文房具の赤毛のアン?」って(苦笑)ちょっと…なんて断ろうっていうぐらいの勢いで「赤毛のアン」を手に取ったんですよ。
早志:(笑)監督がそんなこと言っていいの?
宮平:いや、でもそれまでにジュニア版は読んだことがあったんですけど「ふ〜ん」って感じだったんですよ。やっぱりジュニア版ってスゴイ省略されているから。
突貫:まぁ子ども向けに分かりやすくしてあったりするからね。
宮平:だから、単なる「おてんば娘の話?」みたいに思っていて、でも村岡花子さんの訳で「赤毛のアン」を読んだんですけど、それですっごい深くて、泣きながら一晩で読み終えて。
早志:今度は一気に(笑)
宮平:もう一気にフォーリン・ラヴ!
全員:(爆笑)
宮平:で、その時一晩で全部読んで。その後シリーズも全部読んだんですよ。
突貫:スゴイね。
宮平:それで本当に好きになって、良かったのが20代後半の自分…女性って、やっぱ焦るんですよね(笑)。
突貫:え? 今いくつだっけ?
宮平:29歳です(インタビュー当時)。一気に読んだのが27歳の時ですね。ここまで自分が好きで、映画を撮る道に進んできたけど、編集室に籠もりっきりで、ドキュメンタリーの編集とかしているけど、どうなるんだろう自分は? 20年後とか30年後とか考えるじゃないですか。
突貫:このままでいいのか?とか
宮平:そうそう、このままでいいのか?みたいなことで、ちょっと悩む時期でもあったんですよ。このままカナダにいてどうなるんだろう? 例えば日本でやっていたらもしかしたら…。まぁ異国なわけですから、迷う時期もあったんですけど、その時期に「赤毛のアン」を読んで、かなりこう(気分が)上がった感じだったんですよ。まさしく勇気をもらったというか。で、ちょうどユリ・プロデューサーが「赤毛のアン」に関するオリジナルの作品で、「赤毛のアン」の良さが伝わるような作品にしたいってことは聞いていたので、それはもう「是非やりましょう!」ってことで。(原作を)読んだ時に「これは本格的に関わらせてください」って感じでやったんです。
脚本は80バージョン以上書きました!
突貫:そのまま一気に脚本作業?
宮平:しばらくは共同脚本のライターさんがいたので、その方と一緒に作業をしていたんです。脚本を書く助成金に申請をするために起承転結って言うか、始まりがあって、こういうことがあって、そうなって終わりがあってとか打ち合わせをするじゃないですか。みんなでアイディアを出し合って、ブレインストーミングみたいにして、とにかくあらすじを固めていたんですけど、やっぱりあらすじと脚本って違うものなんですよね。細かい修正も入れたらどれだけ書いたか忘れちゃうぐらいたくさんのバージョンは書きましたね。結構、主人公は変わらないけど、その他の人がまったく様変わりしたとか、そういうのはあります。
突貫:何校ぐらい書いたの
宮平:いやー、もう数え切れないですね。(メモを見ながら)最低でも80バージョン、本当に沢山ありますね。英語でも書いていますからキチンと数えたら、100以上(のバージョンが)あると思います。
突貫:二年ぐらいかけて、何度も何度も書き直したんだね。
早志:まだその段階で、貴子は監督に決まってないよね?
宮平:決まってないですね。
突貫:で、その時に脚本のやりとりをしていて、ある程度これを基本に進めようとか、これで決定!とかプロデューサーからOKが出るわけだよね? その時はまだ貴子が監督ってのは決まってなかったんだね。と言うことは、当初は誰が監督する予定だったの? ガニオン監督?
突貫:クランクインの予定はもう決まっているからってこと?
突貫:ロザンナさんに当て書きしたんだ?
突貫:これまでの企画の流れを知らない監督を呼んでくることもギャンブルって事ね。
突貫:監督に選ばれてどうだった?
突貫:結構迷った? 突貫 三日ぐらい寝ずに考えましたって話は無い?
突貫:自主映画では何本も撮っているけど、今回が商業映画監督デビューって事になるわけだもんね。
突貫:元々の企画がプロデューサーのものだから?
早志:でも映画ってそんなもんだけどね。 早志:あぁ、言わんとしているのは何となく分かるなぁ。 突貫:でも、ある種贅沢な話だと思うよ〜。だって、監督になりたくてなりたくてって人はいっぱいいるんだし。
宮平:いやいやいや、ガニオン師匠の企画ではないねって、ユリ・プロデューサーも「監督の色がありますから、やるんだったら日本の若手、新鋭の人に」って事が頭にはあったみたいなんですけど、(具体的に)誰というわけではなかったですね。で、映画ってキャラクターじゃないですか。あらすじがあっても、やっぱり脚本書かないと動き始めない。ずーっと脚本を書いて、それこそ本当に脚本だけで感動出来るものじゃないといけないってことがあって、それからが長かったですね。それで脚本を仕上げて、そこから撮影期間までの時間が余り無かったんですよ。
宮平:そうなんです。「赤毛のアン」100周年が2008年だったので、その年に撮りたいっていう思いがユリ・プロデューサーにも凄くあったんです。で、その時キャストにロザンナさんは決まっていたんで、ロザンナさんを意識して書いた脚本でもありました。
宮平:はい。全部じゃないですが、剣道などのエピソードなどはそうです。マリ役は、 日本人にしようかカナダ人にしようか悩んだ結果、外国人で日本語がしゃべれてっていう設定にしたのでロザンナさんも事務所の方も凄く乗り気で、あらすじ読んだだけでOKが出ていたんで、(撮影は)2008年でいきたいねって話で。でもやっぱりわたしが新人なんで、(監督を任せることは)ギャンブルだったと思うんですけど、脚本もずっと関わってきて、撮影までの時間がない時にほかの人に監督を頼むって言うことも、ある意味ギャンブルで…。
宮平:ただ、ユリ・プロデューサーは共同脚本をする 作業の中でイメージが私の頭の中に既にあるなって、思ったので「この人でないとできないかも」と考えたと言っていて….ギャンブルを避ける為にではなかった。逆に「すごいギャンブルでした(笑)」と言っていました。そういうこともあって(わたしを監督に)選んでいただきました。
宮平:最後の段階で「監督やりたいか?」と聞かれて 。 やりたくない人にやらせても意味が無いし。「本当にやりたいか、やりたくないかをはっきりしてくれ」って言われて。わたしとしては、それまでに脚本を詰めて詰めてやってきて、思い入れもあって、他の監督が撮って映像になるって言うのは、たぶん悔しい。凄く悔しいだろうなって思ったんです。それで「やらせてください!」って言って。
宮平:うん、迷いました。
宮平:(笑)いや、そういうのは無いですよ。でも、自分がプロの現場っていうか、監督として、CMも短編もプロの映画の現場では無いじゃないですか。だからある意味(プロの監督としてのプレッシャーが)想像出来なかったのも良かったのかな(苦笑)。冗談ッス(笑)。
宮平:そうなんです。別の意味で迷ったのは、わたし最後の最後まで、自分がずっとずっと思い入れがあってやって来たけれども、そもそもはユリ・プロデューサーの思いから始まったものだし、脚本も二人三脚でほとんどやってきたから、そういう意味ではなんとなくプロデューサーの企画ですよね。これって自分の企画なのかな?っていうのが、最後監督を引き受ける時に…意味分かります? やっぱり監督したいという気持ちは凄くあるんだけれども、自分の作品って100%言えないんではないかっていうか…なんて言えばいいのかな。
宮平:そうそうそう。自分から出てきた企画じゃないので、それは迷ったんですよ。
宮平:そうですね。そこでは迷ったんですけど。って言うのはわたし、何となく夢があって、一番最初の作品は沖縄で撮りたいっていう、ほのかな夢もあったので「これがわたしの最初の作品になるのか」と、一瞬思ったんですが…。
宮平:一番最後に迷ったところは、あのー(作品の)芽はプロデューサーから出てきたものだから「あっ…」とは思ったけど、やっぱりここまで脚本もやって、「アン」にも恋したし、映画って伝えたいことが先じゃないですか。わたしは沖縄で撮りたいってボンヤリ思っていたけど、今やっぱり『アンを探して』で伝えたい事っていうのはすごくあったんで、そういう意味ではわたしの作品ですから。
突貫:ね、そういう意味ではね。だから『リバイバルブルース』に参加したのが2002年だっけ。それから6年で一気に商業映画デビューって早い方かもしれないね。
早志:でも、貴子は自主製作映画を経験しているからね。向こうのスタッフは貴子の過去の作品も見ているんでしょ?
宮平:見ていますね、はい。
早志:まったく未経験の人に監督させるのは怖いだろうし。
宮平:でも、この『リバイバルブルース』も『KAMATAKI〜窯焚〜』も、あとドキュメンタリーもありましたけどね。
突貫:ドキュメンタリーって、『炎の声』(`07)?
宮平:はい。『リバイバルブルース』で現場を分かって、ガニオン監督がわたしの師匠なんですけど、「任せ師匠」なんですよ。
突貫・早志:「任せ師匠」?
宮平:そう、困るぐらい任せる人なんですよ。なんて言うか、例えば編集アシスタントをやるときも、全部一から勉強しなきゃいけなかったんですよ、わたしが。技術的なことも、働き方的なところも含めて、教えてくれないんですよ(苦笑)。
突貫:好きなようにやれ、なの? 放任主義?
宮平:そうそうそう(笑)、でもやれ。「You can do it!」みたいな(笑)。そういうところがあって。だから確かに6年という短い時間と言われるかもしれないけれど、脳みそフル活用でやって来た6年間だったので、ドキュメンタリーの編集にしても160時間ぐらいの素材があったんですが、それを51分にするっていう作業をしながら、編集を体で学んだというか、音の使い方とか、そういうことを作りながら学んでいくって言う形だったんで、短いけど濃い6年間だったと思います。
カナダの撮影スタイルとの葛藤
突貫:『アンを探して』の話に戻るけど、監督を引き受けるって事になって、実際動き出すのに不安はあった?
宮平:まぁそれは不安だらけですよね。
突貫:自主映画を撮ってきたとはいえ、商業長編映画デビューだしね。
宮平:そうなんですよね。カナダのスタッフを使うことになったんですけど、カナダのスタッフって、プリプロダクション(脚本、ロケハン、キャスト選びなど、映画撮影前に行う作業の総称)も含めて時給制みたいな感じなんですよ。あまり細かいことは分からないんですけど、例えばこの予算だったら、撮影一週間前からしか拘束出来ないとか、そういう仕事の感じなんですよ。もちろんメイクさんとかはそういう時間は必要なかったですけど、美術さんとか小道具さんとかはそういう感じだったんで、結構焦りましたね。
突貫:時間無いじゃん! 間に合うの?みたいな。
宮平:そうそうそう。でも「大丈夫、大丈夫」って言われて。
早志:それは誰に?
宮平:プロデューサーもガニオン師匠もそういう感じだったんですけど、でも「現場入ったらプロだから」って言われてきたんですけど、その分からない部分が凄く多くて。
突貫:現場に入っても?
宮平:いやいや、現場入る前が分からないことが凄く多くて。500円ハゲができました(笑)。
でも基本的にはカナダ人のスタッフもほとんど面接させてもらったんですよ。やっぱり監督と合うのが一番大切だからっていうことで。美術の監督とかも薦めてくれた人がいて、話してみたらOKだったっていうのもありまして。
初監督だからメインスタッフも貴子の働きやすいように…というサム・プロデューサーの根回しがあって、一応美術や衣装、助監督などの人選も含めてやらせてもらったから良かったなぁと思いました。まぁ全部が全部思い通りになった訳じゃないですけど。
突貫:それはしょうがない部分だよね。
宮平:そうですね。でもそれで安心して仕事出来たって言うのはありますね。語学的な不安はあったんですけど、なんて言うのかな、わたしはスタッフの疑問に答えるのが仕事なので、それは本当に「これ」か「これ」ぐらいの簡単な語学力でもそんなに(笑)。問題はなかったと思うんです(苦笑)。
突貫:現場でのトラブルとか、とまどいみたいなものは?
宮平:ありました。やっぱりカナダのスタイルでやるもんですから、ユニオン(組合)の現場なので、もの凄く厳しいルールが決められているんですよ。6時間仕事をしたら1時間休みで、また6時間仕事してっていう。細かいことは覚えてないんですけど、この6時間の中に移動時間や機材を片づける時間も含まれるんです。それとあと助監督が、あっちの場合はほとんどスケジュール管理とエキストラの手配・演出なんですけど、徹底してそれだけしかやらない。仕事の役割分担がハッキリしています。
早志:仕切りとか、連絡とかでしょ?
宮平:そうそう。「Do It! Do It!」とかいう感じなんですよ。そういう意味で日本のスタイルと決定的に違うのは、日本では助監督が結構、演出的なことにも関わってくると思うんですけど。
早志:それは現場によって違うと思う。割と助監督に任せる監督もいるし、昔のようにプログラムピクチャー全盛の時代だったら、監督がもう仕事でやっているって言う感覚の人もいて、サボる監督とかは、助監督に「お前やっとけ」とか(笑)。まぁそのおかげで助監督が育っていったってのはあると思うけど。で、俺が聞きたいのは演出的なことで、リハーサルってどんな感じだった? 現場リハ? それとも前もってどこかでリハやったりした?
突貫:脚本の読み合わせみたいな事も含めて?
宮平:読み合わせはなかったです。
早志:え? 無かったの?
宮平:時間的に(読み合わせする時間が)なかったんですよ。
早志:例えば役者が来たら、簡単にあいさつとかはするよね?で、すぐ現場?
宮平:すぐ現場。まぁロケが決まっている時は、ブロッキングって言って、動きを決めていったりするんですが。
早志:それはカメラもセッティング中に?
宮平:そう、現場に来て芝居をやってもらって、こうこうこうねって、軽くですよ、軽くやって。で、じゃあはじめのカメラはここで、次はここで、みたいなのはやりました。
早志:じゃあ撮影前に立ち稽古みたいな事は…。
宮平:あ、無かったです。
穂のかと一緒に作り上げた「杏里」
早志:主役の簡単な読み合わせ的なのも無いの?
宮平:うーん、無かったですね。って言うのは、主演の穂のかちゃんが撮影の当日、いや前日の夜に到着したんですよ。
早志:まさかそれが初対面ではないよね?
宮平:初対面です。
突貫:(爆笑)
早志:待って待って(笑)、じゃあどうやって選んだの?
宮平:オーディションをして、別の子で決まりかけていたんですけど、私たちの撮影日程がずれたんですよ。それでスケジュールが合わなくなってしまって。その時わたしはもうロケ地に入っていたんです。日本に帰ってまたオーディションし直す時間が無くて。で、日本のプロダクションマネージャーの人が「こういう子がいるよ」ってことで、夜中だったかな? チャットをして、それで見て。凄く不安だったんですけど。
突貫:そうだよねぇ。
早志:チャットで見るって言うのは、チャットを通して本人が生でってこと?ビデオが送られてくるとか、データで送られてくるって話ではなくて?
宮平:はい。彼女は『The Harimaya Bridge はりまや橋』(`09)っていう映画をやっていますけど、その時はテスト用の映像素材とかがあるわけでもなかったんで。だからわたしも最初は凄く不安だったんですよ。でも、チャットで見て、良いんですよ!やっぱり上手いんです。演技が。芝居が。
突貫:その時は不安だったのが…
宮平:そうそう、話していくうちにもの凄く不安が解消されましたね。そのー、話している時に、ドンドンわたしが「あ、この子だったら出来るな」って思ったのが、自分が納得するまですっごい質問してくるんです。細かいことですけど「杏里ちゃん(穂のかの役名)の英語レベルはどのくらいなんですか?」とか、そういうところから始まって、自分が納得するまでたくさん質問してくるんですね。で、「この子だったら任せられるな」って思って。わたしもその時に主役を決めないといけないぐらいの状況だったんで、凄い不安だったんですけどね。結局映画って凄いタフな仕事で、彼女にも一人で現場に来てもらわなければならなかったんです。
早志:あ、そうなんだ! マネージャーがつくとか、そういうのはなかったの?
宮平:無かったです。だから彼女は凄い根性あるんですよ、ホントに。まぁ一人で来たから、飛行機逃がしちゃったみたいなんですけど(笑)。
早志:19歳でしょ?凄いね〜。
宮平:それでも「この子だったら出来る」って確信はあって。
突貫:で、実際会ってみてどうだった?
宮平:「あ、これが運命って言うものかもしれない」って思ったのがあって、穂のかちゃんはまだ10代なのに もう女優一本に決めていて。今の19歳って、普通に進学するかとかちょっと迷う時期じゃないですか。でも、あのー女優一本ってのを凄い決めていて。で、わたしも脚本で何種類もの(笑)杏里を書いていたんですけど、最後の1年か2年ぐらいは「この杏里をどうしよう、どうしよう」ってことばかりしか考えてないんです。でも穂のかちゃんだったら、わたしと一緒に杏里を作っていけるなって思って。
突貫:じゃあ演技の面で、現場でのとまどいとか、困った事って言うのはそんなに無い?
宮平:無かったですね。まぁロザンナさんとはもちろん撮影前にお会いしていて結構打ち合わせもしていて。ロザンナさんは大丈夫だっていう確信はありました。ロザンナさんも実は映画初めてなんですけど。
突貫:それも意外だね。
早志:テレビドラマとかはやってたんでしょ?
宮平:ドラマはやっているけど、映画はこういう本格的な、シリアスなってのは初めてだったと思います。で、(キャストは)私はびびりなので (笑)オーディションの段階で一番わたしの言っていることを聞いてくれる人を選んでいるんで、基本的に何回かやってもらって、最初は違うかなと思っても「ちょっとこうしてみて、こうしてみて」って言って、それを分かってやる人と、出来ない人がいるんです。
突貫:指示が聞けない人がいるんだよね。
宮平:そう、だから現場ではほとんどリハの時間がなかったんですけど、オーディションで「この人だったら(わたしの指示を)聞けるな」っていうことが分かって現場に挑んでいるんで、もう困ったことはなかったですね。(宝塚の花形スターだった)紺野まひるさんとかも(現場に)ついたその日に「じゃあこのシーンです」っていう感じで、すぐだったんです。
突貫:もういきなりカメラの前って感じだったんだ(笑)
宮平:はい(苦笑)だったんですけど、オーディションの段階でコミュニケーションが成り立ってたのが分かっていたんで、ある意味バタバタはしましたけど、演出的な問題は一切無かったですね。
助監督に煽られながら(笑)、
けど結果が良ければ全て良し、です
早志:絵コンテは描いた?
宮平:描いてないです。
早志:それはカナダのスタイルとしてどうなの? ハリウッドは基本的に描くでしょ。
宮平:でもプロデューサーによると思うんですよ。まぁディレクターにもよるだろうし。で、ガニオン師匠が絵コンテを描かない人なんですよ。
早志:じゃあいわゆる※字コンテ?(脚本に)線も引っ張ってない?現場で全部?
※注:脚本に線を引いて区切りをつけ、カット割りを指示する方法。
宮平:現場で全部ですね。
早志:じゃあ現場で一つのシーンは基本的に順撮り?(時間の流れに沿って、順番に撮影する方法のこと)
宮平:映画全体は 順撮りではなく、最後のシーンも撮影二週目に撮ったりバラバラに撮影していますが、シーン内の一連のお芝居は順撮りです。引き(引き絵、ロングショットのこと)と、あとあれですね、えーとなんだっけ、一回全部の芝居を通しで…。
早志:一回通しでやるの?
宮平:通しでやって、その通しのものを…何て言うんでしたっけ?
突貫:マスター?
宮平:それです! マスターテイクがあって。
早志:(カメラを)まわしっぱなしで撮るってこと?
宮平:はい。
突貫:じゃあマスターテイクを撮って、次はここからアップで撮って、切り替えして撮ってって感じでやるんだ?
早志:ああ、じゃあ役者さんは三回とか四回演じたりするから大変だね。
宮平:そうですね。
早志:でも、今はビデオ撮影だからねぇ。フィルムだったら予算がかさむからなかなか出来ないね。
突貫:そういうスタイルでの撮影はこれまでに経験していた?
宮平:はい。
早志:俺はその撮り方一度もしたこと無いなぁ。
突貫:逆に多くのテイクが撮れるから、編集の時に楽なのかな?
宮平:いや、編集の時は大変ですよ(笑)。絵コンテも描く時間がなかったし、リハーサルもそんなにしてない。役者さんの自然な感じを重視したかったからでもあるんですけど。
あと役者さんが、わたしが思いも寄らないようなことをしても(それが良ければ)OKな雰囲気でやりたかったんですよ。それが作品には良かったりするかもしれないじゃないですか。そういうこともあって、カット割を増やして、感情を切りながら演じるよりも、通してやった方が演じやすいだろうと。
確かに(編集とかは)大変なんですけど、感情を切る方が…映画が初めての人もいましたから…彼たち彼女たちにとっては大変だったかもしれないので、その撮影方法を選びました。だから編集は結構苦労しました(笑)。
やっぱりテイクによって同じ動きをやってない時もあるし、特に肩なめ(カメラ手前に役者の肩が写り、その奥で別の役者が演技しているような構図)のときに、片方の演技はOKでも、もう一人の演技が違う方向を向いていたりとかあったので。でも苦労した甲斐はあったと思います。つまり、感情の流れを重視した甲斐はありましたね。
早志:俺の知っている貴子って、割と優柔不断な印象が…(苦笑)いや、変な、悪い意味で言ってるわけじゃないよ。俺もすぐイエス・ノーって言わない、同じようなタイプなんだけど。
宮平:はいはいはい。
早志:実際現場ではどうだったと思う?
宮平:(即座に)はい、優柔不断でした。
早志 それでいてコンテは描いてないわけでしょ?もめなかった?スタッフで煽る人とかいなかった?
宮平:基本的に助監督のブレアはずっと煽ってました。
(一同爆笑)
宮平:でも、それは彼の仕事なんで。
早志:どんな感じで煽っていたの?
宮平:(腕時計を見る仕草で)「あと15分、あと15分!」(笑)という感じで、でもわたしは 「OK、OK」とか聞いているけど聞いてないみたいな感じでやって(笑)。
突貫:そんな時間がない中でも、監督として思い通りの映像は撮らないといけないわけでしょ?
宮平:そうです、そうです。やっぱ、それで(ブレアが)かわいそうでしたね。
早志:時間もそうだけど、天気判断とかは貴子が決定権を持っていたの?
宮平:やりました。決定権は持っていたんですけど、わたしもこの期間で撮り終えないといけないってのは聞いていて、で、あんまり日本の柔軟な撮影システムみたいに、例えば(カナダの)スタッフは時給で働いているわけで、撮影を一日延長って事が簡単にできないんですね。で、一番最初に「明日雨だよ」って言われていたんですけど…
突貫:撮影初日が?
宮平:そう、初日が雨だったんですよ。でも雨だったら何をするっていうスケジュール…つまり天気判断で室内のシーン、室外のシーンって分けるじゃないですか。それで基本的にはやっていて。で、「このシーンが曇りでも良いのかどうか?」っていうのはブレアもわたしに聞いて、やっていました。
早志:俺は晴れていないとだめなカットを台風の日に撮らされたんだよ(苦笑)。
突貫:(貴子は)そんなひどいことはさすがになかった?
宮平:一応わたしの中での優先順位があるじゃないですか。まずは撮り終えないといけないってのがあって、それはもうみんな一緒の優先順位。で、演出でどこまでわたしが納得いくかっていう。
あの、こういうシーンがあったんですよ。映画の最後、杏里が赤土の道を歩いていくって言うシーンがあって、脚本では澄んだ早朝の青空の下って言う風になっているんですけど、その日はホントに朝からずっと雨で。で、ブレアが、地元の漁師さんで、天気を読める人に電話して「10分間雲間があく」って言われて、その10分間を待って撮らないといけないっていう風になったんですよ。それが最終日二日前の撮影で、あと残りは一日。その一日もスケジュールは結構詰まっていたんですよ。で、一部のスタッフは「曇りじゃだめでしょう」みたいにいう人もいて。
脚本を書いていたときは「これは晴れで撮影しないといけない」って思っていたんですけど、でも主人公の心情的に、いろんな事を乗り越えて彼女はそこにいるんだから…もちろん晴れたら、それが良いことは良いんですけど、わたしの中では…ちょっと水たまりも写るんですけど、「雨上がりの道を行くって言うイメージってのはアリです」っていうことで、撮影を敢行したんですけどね。そういう判断もありました。
突貫:それはある程度、現場で譲ったというか、折れた部分なのかな?
宮平:いや、これはわたしの哲学の話になるかもしれないんですけど、自分の思い通りにいかなかったことも含めて、結果が良ければ全ていいと思うので、それは別に妥協という意味ではないですね。実際に、あのシーン、とても良かった!と言って下さる方もいて。
突貫:現場で迷いながらも「あっ、こっちの方がいいや」みたいなこと?
宮平:そういうことが現場ではいっぱいありました。やっぱりスタッフの皆さんはプロなので、提案も凄くありました。で、経験の少ない自分が良い作品を撮るために頑に自分を押し通すんではなくて良い提案を聞いて、悪い提案は避けて、チョイスするっていうスタイルを取りました。でも初監督で、結構優柔不断なところもありつつ、良い…贅沢な映画が出来たと思います。
突貫:あ、でも「完成」は(2009年)3月の予定なんだよね?
宮平:あ、はい。…今は仮編集を終えたところなのでえっと…「出来そうな」だ。そう、出来そうな(笑)予感がしています(笑)すみませんすみません、これカットしてください(苦笑)
突貫:えー!今のいいシメだったのに〜!今のシメに使おう!オッケー!じゃあ完成した時にまた話聞かせてね。
宮平:はい!
…いかがでしたでしょうか? 宮平監督の情熱的で、かつ愛すべき人となり(笑)が伝わったかと思います。
彼女の『アンを探して』への熱い思いは、本人メッセージという形で本サイトの過去記事にありますので、未読の方はぜひご参照下さい。
というわけで、宮平監督渾身の『アンを探して』は東京をはじめ各地で全国公開され好評を博し、現在、那覇市の桜坂劇場で絶賛公開中と相成っております。まだご覧になっていない方は是非最寄りの劇場へ!
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