変態卒業?『イースタン・プロミス』
沖縄での上映最終日、旧盆の最終日であったにもかかわらず、親戚&ご先祖様との付き合いをバックレて、ようやくデヴィッド・クローネンバーグの『イースタン・プロミス』を見に行くことができた。前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』('05)に続いて、ヴィゴ・モーテンセンがキャスティングされてるってことで、何か繋がりがあるのか?と思ったけど、そういうわけでもなかった。
それにしても最近のクローネンバーグ、普通というか、落ち着いてるというか、オーソドックスな作風になってきた感じ。いやいや、けなしてるわけじゃなくて、作風が進化し続け、今のところにたどり着いたという感じかな?だから“普通”というのは、ありきたりと言う意味じゃないのだ。
クローネンバーグに『スキャナーズ』('81)や『ザ・フライ』('86)、『裸のランチ』('91)のような、ドロドログチャグチャなVFXだけを期待するのはもうやめよう。そんなモノを見せて無くても、充分クローネンバーグの作品は変態性たっぷりだし、見ている観客のモラルさえも揺るがす、衝撃があるのだから。
まぁお盆なのに、ご先祖様に手を合わせてないワタクシがモラル云々言ってもしょうがないけどね(苦笑)
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ヴィゴがタトゥーを入れている映画ですよね?
しまった! 見逃した!
>そんなモノを見せて無くても、充分クローネンバーグの作品は変態性たっぷりだし、見ている観客のモラルさえも揺るがす、衝撃があるのだから。
レンタルが出るのをおとなしく待ってます。
幸村さん、コメントありがとうございます。
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』でも渋かったヴィゴでしたが、こっちはさらに輪をかけた渋さでしたよ。
是非レンタルで堪能してください。
でも、ヴィゴの股間にブラブラしてたモノは、テレビサイズではあまり確認出来ないかも。(あっ!別にそれは目的じゃなかったですか?失礼しました〜)
『イースタン・プロミス』は見てないけど、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を見た時に、クローネンバーグの変態性が違うところに行ってしまっているなと思った。
それまでの “妄想” や “幻覚” から、“暴力のリアル描写” になっているという感じ。
暴力のリアル描写は他の映画でもよく見られることなので、俺としてはクローネンバーグ独特の世界観が失われた気がして残念だと思ったよ。
『ヒストリー・オブ〜』は、クローネンバーグ作品だと言われないと気づかないくらい、映像からは彼のニオイが伝わらなかったからなぁ。
だから、作風が進化し続けているとは今のところ思えない。
プライベートで何かあったのか、今までの作風だと製作費が集まらなくてああいう作品を作るようになったのか…そんな感じで推測してしまう。
良實の分析をもっと聞きたいなぁ。
>元突貫・早志
『イースタン・プロミス』を見て、ボーッと考えていたのが、そもそもクローネンバーグがやりたかったのは“妄想” や “幻覚” では無かったんじゃないのか?ということだったりするわけです。
やりたかったというか、クローネンバーグの変態性が、という方が正しいのかな。
じゃあ何がやりたかったのかというと、“肉体”や“精神” の部分なのかなぁ、と。
『ヒストリー・オブ〜』では、それが他の映画でも見られる “暴力のリアル描写” に見えてしまってるのは、確かにある意味残念だったかも。
で、それと比較して『イースタン〜』はどうだったのかと言うと、“妄想” “幻覚” “肉体” “精神” まで含めて、クローネンバーグの変態性は映像の中であまり説明がされてない気はするんだよね。ただし、変態性が薄いということではなくて、見えない部分からそれが滲んできてる感じというかなんというか…。説明しにくいんだけど、文章で言うと「行間」から変態性が滲み出してるというイメージかな。
うーん、自分で書いてて混乱してきたなぁ。一度キチンとクローネンバーグ作品とは向かい合って見なきゃいかんですね。